すべてに感謝することが幸せになる一番の近道 | smiler vol.51

45号から続けてきた「親父の小言」シリーズもいよいよ今回で最後です。あなたにとっていちばん大切な人のことを思い浮かべながら読んでみてください。

ありがとうを日に三回言え

一生懸命生きているうちは、「ありがとう」と感謝の気持ちを言葉にすることまで気が回らない。ましてや、人のせい、何かのせいにするような人なら、感謝の言葉など出てこないだろう。しかし、「ありがとう」は自分の人生を作る上でも、社会人として人間関係を築いていくうえでも大切な言葉である。

俺が育った田舎町では、生ごみと落ち葉を混ぜて堆肥をつくっていた。俺は生ごみの入ったカゴを背負って畑に捨てにいく役目だったんだけど、そのカゴの下から汁が垂れて服に臭いが付くんだ。それがたまらなく臭くて嫌だった。

だけど今は、生ごみは道路の脇に置いておくだけで誰かが持って行ってくれる。子供の頃、生ごみを背負って畑まで運んでいた俺からしたら本当にありがたいことだ。だから、この感謝の気持ちを伝えたいと思った。そこで、手紙と3千円を入れた封筒を3つ用意して、ごみ箱の蓋に貼り付けることにした。「今日は勤労感謝の日です。いつもごみを持って行ってくれてありがとう」と書いた手紙をね。

これは単なる自己満足だけど、感謝する気持ちを行動で表すようにすると、いろんな事に対しても、ありがたいと思えるようになってくる。

寒い冬の朝5時ごろ、警察官が自転車に乗って息を吐きながら町中を見回っている姿を見たことがあった。その時にふと「この人たちのおかげで世界でも有数な日本の治安が守られているんだな、ありがたいな」と思った。だから感謝の気持ちとして交番に、俺の手作りの新茶を届けに行った。だけど、信用してくれないだろうから最初にこう説明したんだ。「あなた達が白い息を吐きながら近隣を回ってくれている姿を見て、ありがたいなと思った。これはそのお礼の気持ちだ。俺が摘んだお茶を飲んでくれ。毒が入っているか心配なら、俺の住所は、これ、名前は森下だから」と言って渡した。これを新茶と蔵出しのお茶の季節に毎年10年以上続けていると、中には、律儀で受け取らない警察官もいた。その時は「心配なら森下というおっさんがお茶を持ってきているけど大丈夫か、と上司に確認してくれ。」と言うと、最後は受け取ってもらえた。

これもただの自己満足。だけど、こんなふうに目の前で起こった出来事に対して、ありがたいなと思うことは、何事にも感謝の気持ちを持つためのトレーニングなんだよ。

俺の姉はわがままで出来の悪い人だ。俺が旅行に招待して旅館に連れてきているのに古いだの、食事が良くないだの文句ばかりを言う。だけど、世の中には不幸にして生まれながら不具者の人がいる。姉もその一人で生まれた時から足が悪い。ある日、もしかしたら不具で生まれてくるのは俺だったのかもしれないと思った時があった。そうなると白い杖をついて街を歩いている人を見ると、あの人は俺だったのかもしれないと思うようになってくる。そして、駅で体の不自由な人が重い荷物を持っていれば知らない顔で通り過ぎるわけにはいかなくなる。姉がわがままを言って悪態をついても、言われた時は頭にくるが、「おい、姉貴よ。悪かったな。全部お前にその悪い性分を背負わせてしまって。」そう心の中で思えるようになってくると、悪態をついてくる姉貴との接し方が変わった。

つまり、何事にも「ありがとう」と思う練習をしていると、自然と感謝の気持ちを持てるようになる。そうすると不満がものすごく減ってくるんだ。「ありがとう」という言葉は、自分を幸せにする一番の栄養剤だ。そして、「ありがとう」を伝えることは幸せへの一番の近道なんだから、一日3回は「ありがとう」と言ってくれ。

ものを欲しがるな

兄弟の末っ子というのは始末が悪い。泣けば親が何でも買ってくれると思っているから、こらえ性が無い。物を欲しがる人もこらえ性が無いという点ではほとんど同じだ。

何か高級ブランドバッグを買って、一生そのバッグ一つで喜べる人は素晴らしいと思う。ところが、大多数は、「次はあれが欲しい、これが欲しい」と欲望に際限がない。それに気づかないで、常に飢えているというか、渇望状態の中で生きているから満たされた気持ちになれない。物というのは手に入れても欲望を満たしてくれるものではないからだ。だから、 “物欲”を減らすという練習をしなければいけない。

俺の親父は、役場に勤めていて4人の子供を養っていた。俺が高校に入学する時、育英資金で奨学金を借りたんだが、申請書に親父の給料を書く欄があった。年収40万円。今から55年前の話だけど、銀行に勤める友達の父親の年収は120万円だと聞いて、こんなにも差があるものかと驚いた。

つまり、年収40万円で4人の子供を養っていれば家に現金が無いということだ。唯一、年末になると母親が町の洋品店で服を買ってくれた。それが嬉しくてたまらないから、買った服は正月まで着ないでとっておくんだ。それくらい「あれが欲しい、これが欲しい」とせがんでも買ってもらえなかったから、いつしか物欲がなくなってしまった。

だから、今は人から物をもらえば嬉しいけど、飛びあがるほど嬉しいというわけではない。俺にとっては漬物と味噌で飯を食ってるのと、物をもらうのは同じくらいのレベルの幸せだよ。だけど、物がなくても自分で幸せを見つけられるというのは、生きていく上で楽なんだよね。

しかし、仕事をする上では、物欲は仕事の原動力になる場合もある。だから、物欲を捨てて仏のような生き方をしろと言っているわけではない。若いうちは物欲というエネルギーが仕事の成長に繋がるからだ。つまり、いい歳こいていつまでたっても物を欲しがるような人生を送るんじゃないということだ。ある程度、物もお金も手に入るようになったなら、人の幸せのために人生を送るようにしないといけない。

美人と結婚しても、見慣れてくれば美人だから嬉しいと思わなくなる。むしろ、美人は自己中な人が多いから離婚しちゃったりしてね。それで言えば、顔はブスでも気立てのいい嫁をもらうのが一番幸せだよ。これとて欲望を捨てるということの一つだからね。美人で気立ての良い人がいたらごめんよ。

女房のご機嫌を伺え

以前、「女と子供の言う事を聞くな」という話をしたけど(45号・自分の人生を作るのは自分自身である)、これと「女房のご機嫌を伺え」が反対のこと言っているじゃないかと思うだろ。

だけど、女というのはその場の感情でものを言うから、まともにとりあっても仕方がない。つじつまが合ってないことも多い。喧嘩をすれば旦那が言い負かしてしまったりするけど、1人しかいない女房を言い負かしたとしても、旦那は嫌な気持ちになるだけだ。そんなことなら「女房が大将。あんたが正しいというならそれが正しい。」そう言って嫌な気持ちにならないようにした方が幸せだよ。だから、女の言う事は聞かないけど、ご機嫌は伺わないといけないということだ。

じゃぁ女房が物欲にまみれて「あれが欲しい、これが欲しい」と言っていたらどうするか。その時は自分の体の一部が欲しいといっているんだから、買うしかないじゃないか。妻は自分の片割れだ。生活が苦しなってもギリギリまで買える範囲で買うんだよ。それで「また買ってきたか」とため息をつきながら生きるんだ。仕方ないじゃないか、その人と一緒になったんだから。これくらい、女房と言い争いなんかしてはいけないということ。よろしく。

本号を持って「親父の小言」の連載は終了します。

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※smiler vol.49は連載をお休みしました

smiler51号 森下篤史
(記事:オト)