『「だまされたということ自体がすでに一つの悪である」ことを主張したいのである。
造作もなくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになってしまっていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。
「だまされていた」といって平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。
大東亜戦争突入時には、鬼畜米英!と我を忘れてテンションを上げておいて、負けて米軍に支配され、食料危機で国民全員が栄養失調になると、
騙されていたと、臆面もなく言う。
「お父さんたちは、競争に勝つこととか裕福な生活だとか、作られた幸福のイメージにだまされているだけじゃないの、
私たちが本当に学ばなきゃいけないのは…..自分で自分の人生を作ってゆく強さと、いろんな立場の人たちと共に生きる喜びでしょ…..」
「他人任せで、投票したり投票を棄権したりして…..あとで、ひどい目にあったとき、だまされたと言っても、どうにもならない。そしてだまされたって済ませるなら、きっとまただまされる. ….」
伊丹万作
ワイドショーをみて、コロナに過剰に反応してだまされている人、
一方で何かと言えば安倍と小池に批判してばかりしている人。
どちらも同じ部類だ。
自分で情報を集めようともしないで、マスクしてサイクリングしてみたり、郊外を1人でマスクしてランニングしている人
危険の判断が出来なくて、ホストクラブで濃厚接触して、感染をひろげている人。
だまされまいと、安倍や小池を理解しようとせず、やる事にことごとく批判、揚げ足をとる人。
伊丹万作に言わせれば、この手の人は、だまされたといえば、自分の責任ではないと、人のせいにして
いつでも自分を良い位置に置こうとする人である。
こんな人たちは、いつでもずっと「騙され続ける」