三陸の牡蠣100トンを東京へ『飛梅の独自復興プロジェクトが今はじまる!』

創業15年。現在、「かき小屋 飛梅」を中心に、3業態7店舗を運営するのは、株式会社飛梅の代表取締役、松野勝生氏だ。飲食業から住宅リフォーム会社を経て、56歳で再度飲食業に転身、「かき小屋 飛梅」を開業した。開業の理由も金儲けではなく、ゆったりとスローライフを過ごしたいという気持ちが強かったとのこと。歌手、さだまさしをこよなく愛す末の社長、社名もさだまさしの価値観、世界観に共鳴してさだまさしの歌から社名を決めたと、子供のような無邪気な笑顔で語る。

当時は、悠々自適な人生をと思い開業したものの、2011年の東日本大震災を機に、そのライフスタイル、商売のあり方が大きく変わることとなる。大震災が起こった今、自分は一体何ができるのかと考えた時に、自分の人生をかけて飲食業で復興がどれだけ支えられるかに挑戦しよう、そして企業として存続する理由は復興に貢献し続けることであり、『企業のミッションは復興である』と、強く胸に決意したという。

そこから、店舗展開の方針が大きく変わった。開業当時は、東京への出店は全くと言っていいほど、予定していなかったが、三陸の生産者の復興を、少しでも応援するために、「首都圏で三陸の牡蠣を100トン売れる最終消費地を確保する」という目標を自ら掲げ進出を決めた。しかし、東京出店をすると決めた時の松野氏の心中は穏やかではなかった。年々、震災が風化されつつある状況に、「何が何でも震災を忘れさせない」「首都圏のみなさんは、復興に力を貸す義務がある」と、正直、半ば怒りにも似た思いを原動力に、東京に出店したという。

そして、2014年9月に東京都千代田区(神田)に50坪100席の店をオープン。オープン当初は、100席が開店から閉店まで埋まるという、目もくらむ程の忙しさで、東京という巨大マーケットの凄さを改めて感じる。しかし、それと同時に苦い経験も味わうことに。オープンして初めての夏を迎えた頃、首都圏特有の牡蠣に対する考え方だろうか、夏場に牡蠣を食べてはいけないという、まるで都市伝説のような雰囲気から、売上が伸び悩む苦しい時期を経験することになった。そんな時期もあったが、常連客からの「飛梅は復興に真剣に取り組んでいるんだよね」という励ましの声に、飛梅を応援してくれる人たちが着実に増えていることに手ごたえを感じたという。

東京初出店からおよそ1年、2015年11月には、東京2号店として、東京都港区(新橋)に18坪35席の店をオープン、飛梅は着実に目標に向かっている。今後の展開を伺うと、「首都圏で三陸の牡蠣を100トン売れる最終消費地を確保する」という目標を達成するために、首都圏で10店舗を目安に出店を予定しているという。しかし、ひたすら営業利益を追いかけるなど、利益重視ということは考えておらず、「経営的に利益は必ず必要だが、頂いた利益は全部100トン計画の達成のために充てていきたい」と語る。さらに、「復興という志の中で、手を差し伸べてくれる人は、首都圏にもまだ、山ほどいるということも確信していますので」と、自ら掲げた目標の達成に手ごたえを感じているようだ。

株式会社 飛梅

代表取締役 松野勝生氏

宮城県仙台市青葉区国分町3-9-9 2F

☎︎022-398-9410

主な店舗

なごみだいにんぐ 飛梅/かき小屋 飛梅/牡蠣バル TOBIUME