修業の先に待っているもの(Smiler79号)

何を目指して修業するのか?

俺は新入社員に、「君たちはテンポスという道場に入った門下生だ」と言ってきた。一人前になるには、教えてもらうのを待っているようではダメ。自分から学ぶ姿勢がないと、知識やスキルは身につかない。修業する気持ちで鍛錬してほしいからだ。

では、修業のゴールはどこにあるのか。剣道でも柔道でも、道場で修行する人たちが目指すのは、その道を極めること。でも、これにはゴールがない。だから達人たちは死ぬまでが修行だとよく言う。

修業の過程を示す言葉に「守破離」がある。師匠の教え、型を徹底的に守り、確実に身につけていく段階が「守」。仕事でいえば、先輩の教えを守り、仕事の基本を覚えていく段階だ。最初に基本をしっかりと身に着けることはとても大切なことだ。これができて初めて、自分なりの工夫ができるようになる。師匠に教わった型と他流派の型などを自分と照らし合わせて、自分に合ったより良い型を模索し、既存の型を「破」る。それが「破」の段階。そして最後は、型から「離」れ、常識などにとらわれない自在を手に入れる。

戦国時代、真剣勝負に百戦百勝で剣聖と呼ばれた塚原卜伝に、若いころの宮本武蔵が挑んだとされる有名な逸話がある。血気盛んな武蔵は、卜伝の食事中を狙って木刀で斬り込むが、卜伝は鍋のふたでその刀を受け止める。武器を持たず、戦う気もなかった卜伝が、そこにあるものでとっさに対応してしまう自在さは、まさに「離」の境地だよ。

中島敦の「名人伝」という短編小説があるんだけど、天下一の弓の名人になろうと修行していた主人公が、最後に教えを乞うのが矢を放たずに鳥を射落とすことができる老師。それを見た主人公はそこにとどまり修業を続け、最後に行きついたのは「弓を取らない名人」。弓への執着から離れ、ついには弓そのものを忘れ去るに至るという話。

これは修業とは何か、極めるとは何かということの本質を示唆しているよね。武蔵もそうだけど、日本一とか、武士とか、名人とか、そういうことにとらわれているうちはダメ。執着やしがらみや見栄などを捨ててこそ、名人の境地に至ることができるのだけど、もう執着がないから、実は本人にとってそれはもうどうでもいいことなのかもしれない。凡人が、そういう人を見て、強いとか、すごいとか言うと、お前らに言われたかないよと嫌な顔をするだろうね。

修業は本当に大変なのか?

「守破離」の修業段階で、一番大変だと感じるのは「守」だろう。でもね、それって師匠がやっていることの10分の1くらいのレベルで大変だと言っていることがほとんどだ。「破」や「離」の段階に行けば、その10倍、100倍ものことをやるのにね。

重い荷物を持ってるときに雨が降ってきて、折り畳み傘をさしたけど、荷物は濡れるし、肩も濡れて、靴の中もびしょびしょになって「いやあ、今日は大変だったよ」なんて凡人は言うけど、実際はただ濡れただけなんだよね。全然大変じゃない。「守」の段階の人が言う大変なんて、このレベル。早くその上の段階に上がってほしい。

いまテンポスは成長の軌道に乗ってきたところで、これからすごく面白いことになる。これは75年生きてきて、長く商売をしている俺にしかわからないことかもしれない。だからみんなにそれを伝えたくてしょうがない。だから、テンポス丸という船に乗りたければ鍛えろ、修業しろと言っているわけだ。だから、仕事が大変だとか、自分に合ってないなんて言ってないで、我慢して修業してほしい。すごく面白い会社になりかかってるんだから、もったないよと俺はいま必死に叫んでる。取り残される社員が出ないようにしたいと俺は思っている。諦める社員が出ないようにしたい。

修業と言ったって、何も金メダルとれといってるわけじゃない。修業のゴールはないってさっき話したよね。今の学校教育は、目標を明確にとか言ってるから、現代の子はゴールがどこかがわからないと、動き出さないところがあるけど、それじゃダメなんだよね。

80キロ歩行の感想文で、「40キロでいいんじゃないですか」ってのがあったけど、そんなのどっちだっていいよ。3キロでも700メートルだって好きにすればいい。でもね、この程度の理不尽を我慢できず、不満を言っちゃうのはまだ「守」の段階にも行ってないってことだよ。

それは、犠牲なの?

ちょっと話が変わるけど、俺の故郷の水窪町は1万人いた人口が1900人まで減ってしまった。俺の実家も今は誰も住んでいない。俺みたいに百姓に実家へ通っていればまだいい方で、放置状態になっている空き家も多い。

5分の1にまで減ってしまったのは、水窪に仕事がないからだって思ってたけど、そうじゃない。近くの浜松には仕事があるし、水窪から通っている人はいくらでもいる。子供たちが田舎を捨てて町に出たがるからなんだ。浜松の兄貴の家なんか息子が二人いるけど、東京や横浜に出てしまっていて、82のじいさんと77のばあさんが二人で住んでる。浜松だから仕事はあるにきまっているが、自分のやりたいことをやるためには家族を捨ててもいいという風潮になってるわけだ。これ大問題だと俺は思う。東京でやりたいことがあっても、親がいる以上、浜松で職を見つけようと考えるのが当たり前だろと言うと、最近の子は、親のために犠牲になりたくないとか言う。それってホントに犠牲だと思うの?

結婚して25年たって、50歳、60歳になったときに、旦那さんか嫁さんかどっちかが認知症になったり、脳梗塞で半身不随になったりしたら、どうする? さっさと離婚する? そんな非人情なことはできないと思う? ちゃんと愛情のある夫婦は、その後介護生活になるからって、自分の自由がなくなるからって、相手を捨てようとは思わないものだ。それは相手の犠牲になったのかな?

これ親子の関係も同じだよ。

赤ん坊のころは自分では何もできないから、おしめを替えてもらって、乳を飲ませてもらって、お風呂も入れてもらって、親は24時間体制でめんどうをみてくれる。それを忘れて、親を捨てて東京に行くわけ? 親は、子供のために自分のやりたいことをあきらめたという人多いんじゃないかな。仕事をやめた親なんてたくさんいるよね。でも、それを子供の犠牲になったなんて思う親はいない。当たり前だと思ってる。

年老いた親の面倒を子供が見ることは犠牲じゃないよね。それで、やりたいことをあきらめるのも犠牲じゃないよね。だいたい、東京と浜松でそれほど仕事に違いがあるわけじゃない。やりたいことなんて言っても、それは本当にやりたいことなのか? ただ厳しい状況から逃げてる言い訳じゃないの? 楽をしたいだけじゃないの?

東京で一旗上げて総理大臣にでもなろうというわけじゃないんだから。

あるがままに生きればいい

俺もね、11月に女房が脳梗塞になって、もう一度症状が出たら半身不随と言われたときは、そうすると俺は会社にほとんど行けなくなっちゃうな、と頭をよぎったけど、それで自分が犠牲になるとは少しも思わなかった。ケアサービスとか利用すれば3日に1回くらいは行けるかなとか、その状況の中でやれることをやればいい。

誰かに恩を返すとか、そういうことは当たり前のことで、犠牲になるわけじゃない。厳しい状況に追い込まれたら、それを受け入れて、その中でどうやって生きがいを見つけるかを考えた方が、よほど幸せになる。我慢だなんて思うから不幸になるんだ。

ブスな女と結婚しても、そんなものは3か月もすれば感じなくなるの。普段そんなこと思わない。むしろ気立てがいいから、一緒にいるとその方が幸せ。好きだから結婚したわけで、我慢してブスと一緒にいるなんて思わないだろ。

時々さ、15分に1回くらい、ビクッと身体が動いちゃう人いるでしょ。そんな人と夫婦になって、一緒にいるのが恥ずかしいなんて思うやつは最低だと思う。俺ならそういう女房がいたら、女房に「今日は、お前のビクッをもう6人が見てたぞ。今度はもっと激しいのを見せてやれよ」なんて女房と一緒に笑い飛ばす。どんな障害があっても、どんな状況になっても、それを不幸だとか思わずに、あるがままに生きればいいんだよ。

執着しないということが、幸せへの一番の近道。修業と一緒で、幸せとか自分らしさとかそういう執着を無くすことで、見えてくるものがあるんだよ。

自分に合う仕事を探すってのも、ある意味執着でさ、そんなものを探しているから不幸になるのであって、こんなもんだと思っているうちにそれが適職になっていく。我慢だとか自己犠牲だとかそんなことを思うから不幸になる。

「守」を極めれば世界が広がる。みんな、早く上がってこい。新しいテンポスを一緒に楽しもう。

テンポスホールディングス

代表取締役社長 森下篤史

Smiler79号より