気持ちがすれ違ったまま相手に合わせていた
人間の付き合い方は、年齢とともに変わっていく。夫婦関係も同じ。女房は大学の同級生。一番大切な「友達」だった。
結婚しても、最初の頃は、数少ない友達の中で、一番大事にしている友達だった。俺は、なんでも女房と一緒に楽しみたいという想いが強かった。ずっと一緒にいたかった。
ところが、ある時、それが間違いだったことに気づく。タイプの違う俺たちは楽しみたいことの内容がそもそも違っていた。活動的で外に出て冒険したい俺と、本を読んだり、思索的なことが好きな内向的な女房では、一緒に行動しようとすると、どちらかが我慢することになる。
ある日、女房に「休みの日に映画行こうよ」と言ったら、女房は「何の映画?」と聞いて、俺は「黒部の太陽」と答えたら、「それだったら行かない」と、なったことがあった。俺は女房をほったらかしにして一人で行く度胸はなかったので、その日はうちにいた。
こんなこともあった。「休みだから何か食いに行こうよ、何食う?」「なんでもいい」「それなら、とんかつに行こう!」「とんかつはね~」「焼肉は?」「焼肉は臭くなる」「じゃあ、何食べたいの?」「なんでもいい」と埒が明かない。こんなことが何回もあったもんで、独立宣言じゃないけど、誘って意気投合しないときは、俺一人で行くか、友達誘って行く、と提案した。すると女房も「それはいいことだ、藪蚊のくるキャンプや、面白くもない山登りに連れて行かれるのは嫌だったのよ」と言う。
「あ、二人、気持ちがすれ違ったまま、相手に合わせていたんだ」と気付かされた。50歳の時だった。
失敗した、調子に乗りすぎた
そして、俺は趣味に合わせて、いくつかの友達グループを作るようになった。女房が行かないときはそのグループで行く。海外に行くグループ、バイクのグループ、山登りのグループ、温泉好きのグループ、経営者グループ、いろいろな仲間ができた。お互い、我慢することなく楽しめている。良好な夫婦関係だと思っていた。
ところが、この状況も変わる。今から10年くらい前かな、女房に「経営者グループとタイに一緒に行こう」と伝えた。女房もいいねと承諾してくれた。だけど俺は姉さんに、ペナンに行くと言った。俺は頓着なくて、タイもペナンもどっちでも同じだと思っていたけど、姉さんから、俺がペナンに行くと聞いた女房は、私は聞いていないよと、ものすごく怒った。
俺がいろんなグループと遊びまわっていたのは、女房が断るからだったのだが、10年もたつと、グループと遊ぶ方が優先してきて、女房は自分がないがしろにされているように思えたんだろうな。失敗した、調子に乗りすぎた、と思った。やはり女房を最優先にした上で、友達と遊ばないと、寂しい思いをさせてしまうのだと反省した。
そこで、罪滅ぼしと言うわけではないけど、JR九州のななつ星で行く一人70万の3泊4日の九州旅行や、ガンツ―という、2泊3日で一人100万円の瀬戸内海クルーズといった豪華旅行を提案したりした。金持ちはどうやって喜んでいるのか、勉強がてら行ってみようよと言ってね。
一方で、年頃の近い経営者仲間と会うときは、全員が奥さんを同伴にして、女房と一緒に出かけるようなことも始めた。女房にとって、年頃の近い奥さんたちとしゃべる機会があると、いいんじゃないかなと思ったんだ。「女房を喜ばせる会」と名前をつけてやっている。
その人たちと、2〜3回飯を食っているんだけど、歳も近いし、話題も合うから、思った以上に楽しい。もう少し仲良くなったら、この仲間で、国内旅行や海外旅行に行くのもいいなと考えている。その方が女房もきっと楽しいだろう。ただ休日、家にいるときは、女房が庭に出て、花に水をやりはじめたら、俺もすかさず庭仕事をやるようにしたりと、ちょっとしたことでも、一緒にやる時間を増やすようにしている。
いたわるという愛情の芽生え
歳をとると、あそこが痛い、目が霞む、といった健康上の問題が増えてくる。身体の機能も衰えてくる。女房と出かけたりするときは、ただ一緒に楽しむだけじゃなくて、いたわりあわなきゃという考えが出てくるようになった。これは時間をかけた夫婦だからこそなのかもしれない。友達グループと遊ぶのとは、ちょっと違う。
50代以前は、女房はいたわり合うと言うよりは、一緒に遊ぶ相手、楽しい家庭を作る相手だった。しかし、ここにきて、お互いの健康の気遣いをすることの大切さがわかってきた。そういう年齢になって、自然とそう思うようになった。そういうことが夫婦関係形を作っていく。
女房は、俺と一緒になって、はたして幸せな人生を送っているかなと、思うようにもなった。
夫婦は遊ぶことも大事だけど、やっぱりいたわりあうというのは大事だよな。