子供の頃は1万人いた村も、今では間もなく2000人を割り込みそうである。
あちこちに、元財産家の一人暮らしのオバさんがいる。
50~60になる息子も娘も、山も畑もいらないという。
山の境界を息子に教えようと連れて行くと、途中で山は要らないからこれ以上上まで登るのは嫌だと言う。
何処もかしこもどれが自分の持ち山か分からない、仕方がないから相続だけをしても、持ち山がわかっても、境界がわからない、そんな人たちが多い。
森林組合に頼んで3~5町歩売ろうとしても、3反歩や5反歩の小さな山をいくつも持っていては、買ってくれる人もない。
50年前は、小さな山を一つづつ売って、子供を大学に行かせたり、家を修理したりした。
相続した従兄弟は、山仕事をしないまま、大学にいき、サラリーマンをしていたから、山に愛着もない。
どれが自分の山か分からないまま、税金だけを払っている。
山はまだいい
水窪辺りの畑はほとんどが段々畠
雨で土が流れるから、山の斜面を下から上に鍬を入れて、土を上に運ぶようにして、耕さなくてはいけない。
かっての貧乏人は畑をかりて、食い扶持の分だけは作っていた。
その貧乏人は、サラリーマンだから、現金収入がある。しかも歳を食ってきたからと、借りていた畑を返すという。
1人きりになった元財産家のオバさんは、自分だけでは畑をやりきれないから、シルバーに頼んでやってもらう。
耕作放棄しても、草刈りだけはやらないことには、ランゴクナイというか、ソクサンゴクというか、草だらけでどうしようもなくなる。
その上にもと貧乏人から、畑を返すと言われる。
「私ら困るにぃ、」
俺「後10年経ったらどうなるかねぇ」
「10年じゃないに、2~3年だにぃ、昔は山持ちだなんて、良い気持ちでいたが、今になってみると、畑も山もない貧乏だった人の方が、身軽で良いねぇ~。」