俺は知ってるよ。
去年の秋口、新卒で営業を始めて6ヶ月も経った頃か。
1人で慣れない厨房の見積もりをしていた。この程度の事で人の手を煩わせてはと、気遣いをする女なんだよな「文」は。
9時過ぎて上司の吉川が「1人で大丈夫か」「やれます」と聞いて帰宅した。
翌日「秀」が吉川に「文は11時過ぎて1人で見積もりをしていたが、時々涙を拭いてましたよ。」とその時の様子を伝えた。
吉川の言うのには「文は外大をでた秀才で俺とは違う。恐らく学校時代には、大抵の困難は乗り越えてきたんでしょう。社会人になって仕事の進め方と成果の違いに慣れなくて、自分の不甲斐なさにやり切れなくて、涙を拭いていたんだと思います。辛くて泣いてたんじゃないですよ」
それ以後も1人で涙を流しながら仕事をしてるのを何人かが見ている。
5つか6つの孫なら飛んで行って抱きしめてやるよ。「文」
乳のデカくなったお前ではそうもいかぬが、感激してコッチまで涙がでてくるよ。
不器用で、真っ正面から仕事を受けてくるので、大事になり、余計に時間を取られる。手抜きをしないので仕事がたまる。
弱音を吐かない。涙が出るだけ。
俺は子供の頃から目はしが効いて、よくいえば効率的、悪く言えば要領良く誤魔化した。
良い点を見てくれていた教師と、ずるい事をする俺を見ていた教師とでは評価が大きく違った。
社会人になって、実績が上がらなく6ヶ月の間全く売り上げが上がらなかった。鏡を見てはこんな子供のような顔した俺では、信用されなくてものなど売れるわけないな~と。
今まで目はしが効いて賢いはずだったのに、どうしたんだろう。
レジスターの知識では、NCRや、シャープ オムロン 他社の社員にも負けないくらい競走会社の研究もした。勿論社内では一番勉強したと思う。
導入メリット 他社比較 心を開かせるトーク、プレゼンのトーク 何しろ研究熱心だから物凄くべんきょうした。
「客の売っている商品を褒めなさい」とある。
「お客さん、素晴らしい肉ですね~」
「おう!そんなとこに居ないで、こっちに来な。」
しめしめ 褒めると喜んでくれるもんだな~。
「はい、なんでしょうか」
肉屋の主人はそばに来た俺の首に、持っている包丁の背を当てて
「肉が分かりもしねぃで、おべんちゃらをいうんじゃねぃ!」
本には確かにおべんちゃらの言い方があって、その通りやったはずだったが。
土建屋の社長室に飾ってあった絵を褒めた時も、「絵なんかわかりもしないのにと、おん出されてしまった。
浜松の肉屋や スーパーを回るのが仕事で、当時2000円で買ったバイクは、シートが破れていて雨の翌日はケツのしたに新聞を置いても、じんわり湿ってズボンが濡れて来た。
やっと貸し出した電子秤も調子が悪く、翌日店に行ってみると、店頭になくコードを巻きつけて隅っちょに置いてある。故障したとのこと。デモ中にも故障する始末。
終いには貸し出した翌日、店の前をそおっと通り抜けて、肉のケースのうえで、電気のついた秤が乗っていると「ああ良かった故障してなくて」。
そんな機械でも、仙台の渡辺は肉組合の役員に認められて、10台も20台も売っていたし、東京の庄司(元警官)も実績をあげていた。
長袖から半袖になり、土地柄浜北の辺りに行くと蝉も鳴く季節になった。
未だに一台も売れない。
木の茂った公園のブランコに腰掛けて、女房の作ってくれた弁当を食い始めた。
地べたから、蟻が一匹上がってきた。
女房は大学の同級生。朝早く起きて俺の弁当を作ってくれて、そいでもって自分は教師をしている。
コッチは夏も過ぎようとしているのに、一台も売れないで、人に作ってもらった弁当を食う。
首を降りながら脚を上がって来る蟻を見ていたら、涙がどんどん出てくる、拭いても拭いても出てくる。
同級生の女房は今頃立派に仕事をしてるんだ。
自分の顔のせいにしたって、機械のせいにしたって、本当は売れない理由は分かってる。
この頃では訪問件数も極端に少なくなり、寺や神社の軒先で半日もサボっていることもあって、このまま人生を終えてしまうのだろうかと、恐怖まで覚えた。
サボってる俺が、働いてる人の作った弁当を食ってる。
涙を拭いていた「文」は40年前の俺。
小説と違って、泣いたからって神は助けてはくれない。
大学受験の時神様の力量を計った。とても受からない大学を受験して 浅間神社に200円も賽銭を納めた。
ろくな勉強をしてないのだから、東京教育大の心理学科は40倍の競争率、ここに合格したら神様もたいしたもんだ。
案の定 不合格!
「天は自から助くるものを助く」
全国トップセールスに電話して、3人の鞄持ちをさせてもらった。
どうせノーセール男なので休暇も簡単に取れた。
彼らは本に書いてあることとは全く違ったセールスをしていた。
月末売り上げが足りないのでと、40キロもあるレジを持ち込んで菓子折り持って5時間も土下座をして頼み込み、根負けさせて売ってくる人や、なかなかオーケーを出さない社長の引き出しから印鑑を探し出して、無理やり印鑑を押させて、契約金がないというと、セールスが「私が立て替えておんきますから大丈夫です」と言って、自分の名刺の裏に借用書を書いて社長に貸せたことにして、セールスマンの自分の金を契約金として入金させてしまった。あれよあれよという間に。
導入メリットなどチョコっとしか言わないし、他社比較なんてほとんど説明しない。
これでは俺は売れるはずがない。
「文」!
それから3年経って2000人近くいたトップセールスを三期連続続けるようになった。
蟻を見て泣きながら弁当食ってた俺がよ。
「文」逃げることを覚えるな!あと何回涙を拭くかな~
吉川君よ!「文」を育てなかったら、人の育て方を覚える時はないよ。
優しいは甘やかすと同じ、厳しいは辛いだけ。どうすりゃいいんだと、途方にくれた時やっと人は育つ。
一年間一番早く出社しろ!一番最後に帰れ!
毎週これだけはやると決めてちょっとづつハードルをあげていけ!
人を使うには、自分に厳しく、育てるには、本人が無理ですと言うことを上手にやらせる。
「文」に努力もしないで歓心を買うのが上手いだけの野郎が近づいたら追い払ってくれ。
新卒は全てその親からあづかってんだから。
一人前に仕上げないとな。