人に成ったサルと、猿のままの猿

1000万年も前の話

数万年単位で、地球は氷河期と温暖期を繰り返していた。

この物語は全体が温暖期で、シベリヤのあたりまで、暖かかった時代の話である。

シベリヤ一帯は、木が生い茂り、動物もいっぱいいた。

樹の上には、わが世の春を謳歌する猿がいた。

ところが、今の地球温暖化の逆、50年単位で、少しづつ寒くなっていた。

樹の上の猿にとって、食料危機というほどではないが、最近木の実が取れなくなってきたことは、

あたりまえに、日ごろの会話で話されるようになっていた。

さらに、20~30年も経つと、木の実の取れ方が減ってしまい、家族でわけあうようになった。

栄養不良で、幼児の死亡が増えて、一つのグループが、小さくなってきた。

100年前は30匹くらいのグループは普通であったのが、今では10~20匹以下のグループが多く、

30匹のグループなんて、大家族である。

さらに、2030年も経つと、やせて、病気の猿が増えた。

家族の中には、村(シベリヤ)を離れて、樹の上伝いに、南へ南へ向かうものも増えてきた。

村の中は出て行くものと、残るもの、大部分は村を離れた。

残った家族は、数年は食べ物の心配がなくなったが、それ以後は、もとのように、食料不足に悩まされた。

一方、南に向かった猿は留まることはできなかった。毎年寒くなり、樹上を、伝わりながら、

100年200500年移動が毎日の生活であった。

北に残った猿の中には、木の皮を食べる猿、樹から下りてと言っても、

樹の周り10メートルの樹の根の柔らかい部分、草、虫、、みみず、など、手当たり次第に、口に入れた。

腹を壊す猿、病気になるもの、死んでしまうものもいた。

少しづつ、危険な食べ物を覚えていった。食料探しに、一生懸命になりすぎて、獣に襲われてしまうものもいた。

この家族に生まれた子供は、赤ちゃんの時からミミズをすりつぶしたもの、野菜をすりつぶしたものを

食べているので、木の実より、ミミズを好きな、猿もいた。

樹の周りの食料を食べつくすと、50メートル、100メートルと、範囲を広げた獣に食われることが多くなった。

逃げ方が早くなって、何十年もたって、その家族に生まれた子供は樹の下で生活をし、

100メートル200メートルと、行動範囲を広げるうちに、立ち上がって見回したほうが、獣に襲われない、

少しだが、歩ける猿もでてきた。

さらに100年も経つと、その家族の中に木登りの上手な猿は一匹もいなくなってしまった。

1万年経って、ゆっくりだが、温暖化が始まった。

5001000年も経つと、シベリヤは夏でも青々とした緑で覆われて、森は大きな樹がびっしりと生えた。

1万年経って、南から来た猿とシベリアに残った猿が出会ったが、二種類の猿は全く別の生き物になっていた。

人間の証

我々のDNAは、食べたことがないものを食べ、死ぬものもあった危険を冒して、樹から降りて、

獣に襲われて死んだ。

昨日と同じことしかしないものは、猿

リスクを、犯せないものは、猿。

挑戦しないものは、猿。

ベンチャー企業にこないものは、猿。

テンポスにこないもの、猿。

なんだかくだらない、話になってきたなぁ。