競争会社に入社してみた

アメリカの輸入品の販売会社を作った。15年前の話。
なかなか売れないし、他社では年商30億もやっている。
どんなやり方をしているか調べるために、社員をもぐりこませることにした。

本人は、嫌がったが、「お前、この会社を辞めて、翌日其処へ、面接に行くって事、ありうるよな、なあみんな」
「ありうる、ありうる」
「みんなもそう言っている」
「なんで、私なんですか」
「さっき、トイレでお前とすれ違ったよな」
「はい」
「そのとき、お前と、目が合った」
「それで?」
「それで、お前に決まった、」
当日、玉城君 来なかった。 代わりに、俺が行くことになった

其の会社の渋谷の営業所に面接に行った

名前は玉城00。下の名前は忘れた。

生年月日でたらめ、住所もTELもでたらめ、保険証をつくるという。困ったことになった。

翌日から、神戸の本社で1週間の研修。
全国から5人が来た。毎週10人くらいやっているらしく「今回は、少ないなぁ」と言っていた。
各自の自己紹介の後、研修が始まった。

「たまきです」

しばらくして、隣の席の若いのが、「森下はん」

「何ですか?」

あれっ?俺は玉城だよな。こいつなんで森下なんて、知っているんだよ。

やっぱり、会社ではスパイ探しのシステムがあって、見つかっちまった。

袋叩きにあうんだろうなぁ、困ったなあ。

そうだ。この歳で飲み屋のネイちゃんと一緒になって、婿に入り、名前が変わったことにしよう。

それにしても、隣の若いのはスパイ探しじゃぁないのかなぁ。

それにしては全然、奴の態度に不自然なところが無い。

「あのうぅ 勝田さん、何で私の元の名前をごぞんじですか?」

「森下はん 背広にネームが入ってますよ」

(ああよかった)

「最近結婚したばかりで」

落ち着いて研修をうけていた。

リースの説明が下手で、こんなのが経理課長? と言う態度が出てたんだろうなあ。
突然「玉城ぃ、何だ、其の態度は、脚なんか組んでるんじゃない!」

いけない、俺は、KYODOの社長じゃない。研修生なんだ。
脇で見ていた営業部長が、俺の態度を見て、どなりつけた。

1週間の、研修が終わって、渋谷に戻った。
翌日から、集団コールだ。地域を決めて、グループでマンションコール。

自信満々、何でも来い、全ての返事、前向き。
3日目からだんだん声を小さくした。4日目遅刻。5日目、会社で支給したセールスキットを

網棚に置き忘れたことにして、みんなの前でJRによく探してくれるように電話した。

7日目、退社のTEL。
1ヶ月後、其の会社の営業マンを、引き抜く電話をした。

結局誰も、来なかったが、ノウハウと資料は手に入った。
元々、ねずみ講まがいの会社でもあったし、自分でやってみたが、なかなか、黒字にならなくて、

2年で、やめてしまった。

覚えたことは組織的ペテンのかけ方。これは後々、リサイクル屋、テンポスを始めるにあたって、
商売人相手に生き馬の目を抜く、

中古市場で素人のテンポスが何とか生き延びてこられた大事なポイントとなっている。