【仙台 伊達酒場 強太朗】心から望んだ道なの? いや、やっぱり社長と一緒に働きたい!

最初にKYOTAファクトリーに入社したいと考えたのは、専門学生2年目の2011年初頭だった。就職活動をする中で、1年8か月続けてきたバイトの楽しさを捨てきれない自分と、いろいろ考えすぎて安定を目指すようになった自分とがせめぎ合っていた。

社長(佐々木強太氏)に相談すると「今じゃないと俺は思うんだよね」と。「まだ若いし他を見てきてからでもいいんじゃないか」という親心だと理解しつつも、自分の想いは、わがままだったのかもしれないと考え、安定性の高い職種を探すことにした。実は最後のシフトインが2011年3月11日だった。バイト最後の営業が震災でなくなり、社長になんとか連絡はついたものの、そのままいつも楽しみだったバイト生活が終わってしまった。

2011年春。とりあえずいったん就職をしなくてはと選んだのは、家から近い病院給食の道だった。栄養士さんが考えた献立を、なぞってつくって盛り付けて、配膳車に載せる調理員という仕事だった。居酒屋のバイトと違ってお客様との繋がりはほとんどない。月に1度、調理員が病棟にあがって「お食事いかがですか?」と聞きにいく機会があり、その時に患者さんたちと、かろうじて話す時間があるだけだった。唯一嬉しかったのは、総じて病院食の評価が高く「美味しい」と言ってくれること。その言葉だけで、やりがいを感じることができた。

就職して3年が過ぎる頃、もやもやした気持ちが湧いてきた。いま自分がしていることは本当に望んだ道なのか。いてもたってもいられず、他には目もくれず社長に連絡をした。
「やっぱり、社長と一緒に働きたい! あの1年8か月が忘れられない」そんな気持ちからだった。

前職を円満退社しKYOTAファクトリーに戻ってからは楽しかった。お客様やスタッフとの繋がりが確実に増えたし、何より社長と一緒に働けることが嬉しかった。
仕事の話は、もちろん真剣だしわきまえるけれど、バイトをしていた頃と社長との距離感は変わらず、いい意味で信頼しあい、程よい距離が保てている。社長の人間性や人柄や考え方が、自分たちを成長させてくれると感じるし、やはり社長のことが大好きだ。戻ってきてよかったと心から感じている。

2020年7月、現在働いている店「伊達酒場 強太朗」の3代目店長として抜擢された。この店に配属になって5年。頼れる先輩たちが店長を務めていたが、店舗展開による人員配置により、その役割が自分に回ってきた。すぐに受け入れることはできないと感じていたが、一緒に働いてくれる店のベテラン勢が、サポートしてくれることも体感していたので、会社のためにも頑張ろうと腹をくくった。


店長になってから社長は適宜声をかけてくれながらも自由に仕事をさせてくれている。それが信頼されている証拠だと、そこに対してもまた更に頑張ろうと思える。
「伊達酒場 強太朗」は本来であれば、県外のお客様が宮城の食を楽しみに来てくれる店。

今はコロナ禍で、半数以下の集客しかないのが現状だ。だけど、自分は心に決めている。
コロナ禍が収束した時、県内外の常連さんがいつでも戻ってきていいようにお店はここにあり続けさせる。このお店の看板娘として5年、店長として1年、ベテラン勢と一緒にやってきたからこそ、みんなで協力して、良いお店を作っていく。「仙台に来たら強太朗に行こう」と思ってくれる人を、1人でも増やして、私たちに逢いに来てほしい。
そう強く思えるようになったのも、社長がいるこの会社に戻って来れたからだとという感謝でいっぱいです。

取材協力
伊達酒場 強太朗
宮城県仙台市青葉区花京院2-2-68 高橋ビル102号
☎︎022-212-3057