儲かる会社にするか、社員の幸せを願う会社にするか

ビジネスアスリート 森下篤史

A 連続増収増益、高収益、健全財務、100年企業 を目指すか。
B 社員を幸せにする、働きがいのある会社、喜んで働ける、誇りに思える会社を目指すか!

今まで、AもBも相反するものではないから、同時に追求してきた。
ここにきて
テンポスはAの高収益、100年企業を目指すと、対外に広報する事にした。
テンポスが、働いている人が、喜んで働ける職場になっているかを、考えないはずはないし、社員の幸せを願わないわけがない。
何故Bの「社員の幸せを願う」を外したか。

戦争反対!を訴える人達は「胡散臭さ」が漂う。
戦争賛成の人達が多ければ、「戦争反対」の立ち位置はありだと思う。
戦争反対の人しかいないのに、わざわざ「戦争反対」を訴えるのは、平和主義者ですとこさら、訴えて、左翼の宣伝の道具にしているのである。

「社員の幸せを願う」と殊更いうと、黙々と、淡々と「社員の幸せを願っている会社」から見ると「胡散臭い会社」のグループになる。
「社員の幸せを願う」を標語にして、嬉しそうに、自慢げに訴える事をやめる。

人の役に立つ、寄付をしようとするのは、寄付出来るようになった境遇を、天に感謝して、こっそりとやらなくては意味がない。
人のためになる事をするのは、天から与えられた役割りをになっているのであるから、こっそりとやらなくてはいけないし、ましてや、自慢するようでは「戦争反対」の人と同じ「胡散臭」グループになる。

「社員の幸せを願う」というのは、寄付をしますと同じで、綺麗すぎて、人に言うことではない。
社内やることで、そんなことを、他人に言うようでは、「げす」!
立派と言われたい、いやらしい気持ちが、そこにあるような気がする。

営業部は、ひたすら高収益会社にしてくれ!
人事は、喜んで働ける職場にしてくれ。人には言うなよ、こっそりやれよ!

顧客満足、お客様の役に立つというのも、殊更 強調すると、卑しい、品のない会社になる。
これも、「社員の幸せを願う」「戦争反対」と同じ。

如何にして、顧客満足を追求するかというのと、そんな事を、対外的に発信するのは別のことである。