東南アジアの現状を知った飲食店経営者が目指したもの

神奈川県川崎市に3店舗、東南アジア2カ国に4店舗の飲食店を展開する、型無株式会社の代表取締役社長、矢野潤一郎氏。14歳でカナダのバンクーバーに移住、その後バンクーバー・上海で飲食店経験を積み、27歳の時に日本で独立開業した異色の経歴を持つ。幼少期の頃から過ごした海外生活は驚きと衝撃の連続で、矢野氏が志す「雇用の革命」の原点となった。多彩な経験を積んできた矢野氏が語る「型無」の経営論とは何か、お話しを伺った。

自分の夢を叶えるという事

「17歳で飲食の世界に入りました。包丁を持ったこともないのに魚の仕込みをやれと言われ失敗するとフライパンが飛んでくる(笑)。そんな飲食の仕事が嫌でやる気もなく、挨拶はしないし遅刻もする、最悪なスタッフだったと思います。毎日のように先輩から怒られていました。何度も転職をしましたね。でも、ある店で出会った兄弟子だけは違いました。」

矢野氏の礼儀を欠く行動には、兄弟子から死ぬほど怒られたというが、調理に対しては違った。出来ない時は、『よく見ておけ、こうやるんだ』と何度も目の前で見せてくれる。思い返すと、意識を変えれば出来る事、訓練を重ねなければ出来ない事、この2つを分けて教育してくれていた事に後になって気づいた。兄弟子に出会えたことで飲食が好きになり、この商売で一生やっていくと覚悟を決めた。意識が変われば、やらされる仕事なんて一つもなく、兄弟子の背中を見てどんどん仕事を吸収した。仕事の姿勢が変われば自然とチャンスも増え、そのチャンスを掴んで店長、マネージャーの経験を積んでいった。

そして、店舗運営に邁進する一方で、独立を意識し経営学の本を読み始めた。その中でワタミグループ創業者、渡邉美樹氏の著書に衝撃を受けたという。「自分の店をもちたいと”言うは易し”で、いつまでにどの状態にしておくべきかを明確にしなければ、10年後、20年後も夢は叶えられない、といった内容が書かれていたのですが、当時の自分にとって、それはとてもインパクトのあるメッセージでした。だから、私も夢に期限をつけたんです。2年後の自分の誕生日、27歳で店を持つとね。」

そんな折に中国の飲食企業からマネージャーのオファーを受けた。残り2年、自分の店を持つまでに違う世界を見ておきたいと、1年間の契約という約束で、カナダから上海に飛んだ。

一切残業しない中国人スタッフの隠された本心とは

飲食店運営には自信があったし、上海であれば英語も通用するだろうと、余裕さえ感じていた矢野氏だが、その自信はすぐに崩れ去る。

「上海の店舗のスタッフは皆中国人でした。金銭トラブルも多く、どんなに店が忙しく大量の洗い物が残っていたとしても、定時になるとスタッフ全員が帰ってしまうんです。これまで当たり前だと思っていた、飲食店におけるチームワークの考え方とか、そういったものが一切通用せず、リーダーとしてチームを作れない不甲斐ない自分が嫌でたまりませんでした」

そんなある日、料理長に誘われ社員寮でスタッフと飲むことになった。何か変わるきっかけになるんじゃないかと思い喜んでスタッフの寮に向かったのだが、そこは家というより工事中のコンクリートむき出しの建物。トイレもシャワーも壊れて使えない狭い部屋に、2段ベッドを5つ置いて10人が住んでいると知り矢野氏は愕然とした。しかし、スタッフは少ないお金を出しあって買った食べ物と、どこのメーカーか分からないようなビールで乾杯しながら、海賊版だけど流行りのCDを聞くこの時間が最高の幸せだと言う。これを聞いた矢野氏は、自分が半年後に店を抜けて独立の準備をして店を出すことが夢だとスタッフに打ち明けたうえで、一つ質問してみた。

「君たちの夢は何?と聞いたんです。するとその場にいたほとんどの子が、明日のご飯を食べることだと言いました。地方から出稼ぎに来ているスタッフは私と一緒に朝から晩まで14時間ほど働いていましたが、それだと自分の食い扶持を稼ぐだけで精いっぱい。だから終業後も仕事を掛け持ちして稼いだお金を家族に仕送りしていたんです。だから店がどんなに忙しくても定時になれば帰らないといけない、しかし会社はダブルワークを禁止しているから帰る理由は黙っていたと話してくれました。途上国の現状はテレビやラジオで聞いたことはありましたが、まさに目の前にいるこの人たちの生活がそれなんだと思い知らされました。だから私はスタッフが家族に仕送りをして、尚且つきちんとご飯が食べられるだけのお給料を渡せるような、そんな飲食店を東南アジアに、最低でも1都心に1店舗作ろうと決めたんです。それも、圧倒的に現地スタッフの給与水準が高い飲食店です。そんな店舗が増えれば、飲食人の地位向上に繋がると信じています。」矢野氏が志す「雇用の革命」とは、この上海での経験が原点となっている。

東南アジアのスタッフが日本の店舗で研修して語ったこととは

東南アジアへの出店を決意した矢野氏は、基盤を固めるべく日本に渡った。慣れ親しんだバンクーバーよりも地理的に近い日本の方が今後の東南アジアでの展開に有利だからだ。そして、1年間の「てっぺん」での修行期間を経て、目標通り27歳の誕生日に独立を果たした。

都内に5店舗を出店、売上も3億をあげるまでになると、シンガポールに出店し念願のアジアへの進出を果たした。現在は、アジアへの出店に注力するために、都内の5店舗はスタッフに引き継ぎ、国内店舗は川崎市(神奈川)で3店舗をドミナントで展開、国外ではシンガポールで2店舗、カンボジアで2店舗を展開している。

取材で訪ねた「馬肉料理と蒸し野菜の”型無夢荘”」の朝礼に参加させてもらうと、8月にシンガポール店の店長になるスタッフが参加していた。今回初めて地元(外国人)のスタッフが店長になるとのことで研修に来ていたのだ。そんな外国人のスタッフが日本の”型無夢荘”を見て矢野氏にこう話したという。「私達の店は、シンガポールの中でも飛び抜けてお客様へのおもてなしが出来ているものだと思い込んでいました。でも本当のおもてなしとはこれなんですね。日本で学んだことをすべて持って帰れるように頑張ります」

朝礼の様子。その日のお題に合わせてスタッフが自分の夢をスピーチしたり、「世界一宣言」といって、今日自分は何の世界一を目指すのか、例えば、「明るい笑顔の世界一」「気配りの世界一」などの目標を全員が宣言する時間を設けている。

途上国での飲食人の地位は低く給与も決して高くない。しかし、飲食の面白さは目の前のお客様を笑顔にすること、日本の持つ”おもてなし”の文化を途上国の飲食店に伝えることができれば、もっと飲食業の見方も変わっていくと矢野氏は話す。「東南アジアの雇用の革命」を起こすという壮大なテーマにも臆することなく、夢に向かい進み続ける矢野氏の足取りは軽やかだ。

取材店舗
馬肉料理と蒸し野菜 型無夢荘
神奈川県川崎市川崎区砂子2-7-6
TEL:044-246-0310
型無株式会社
代表取締役 矢野潤一郎氏

Smiler42号