褒められちゃお終いよ

68才になって、かれこれ15年実家の百姓に通っている。
4年前までは親父が生きていて、俺も畑に出ても励みにはなっていた。
今は一人
炎天下で汗垂らして、昼飯はラーメンに冷えた牛乳。
西日がさすとはいうものの、3時には畑に出ないと、午後の部が3時間仕事が出来なくなる。
まだ明るいが6時過ぎたら、仕事を終えて
風呂沸かして、サッパリしたら、夕べのうちに買っておいたパックの弁当を頬張る。
疲れてビールを飲む気がしない。
無理に飲んで9時頃には、面白くもないテレビをやめて、寝るとする。

事情がわかっている人は「大変だねぇ」「よくやるねえ」「頑張るねぇ」とか言ってくれる。
が褒められちゃお終いよ!

小学校6年の年 伊勢湾台風が通過した。
親父は役場から帰ってくるなり、雨戸の釘付けをし始めた。薄暗くなる頃には風雨が強くなってきた。
「篤史ぃ、水をつけに行ってこい」親父はハシゴの上で雨戸に釘を打ちながら俺に言った。
水つけとは、歩いて10分くらいの沢から、飲み水に使う生活用水を引いていた。
大雨が降ると、水の取入れ口に砂がたまって、水がこなくなる。
それを予想して、ラグビーボールくらいの石を積み直して、大水対策をする。
大水対策をして来いを、水をつけに行ってこいと言う。
薄暗くなって、懐中電灯を草むらにおいて、悪戦苦悩して、石を積んだ。
雨合羽だけでなく、長靴の中まで水がたまってきた。
戻るとお袋が熱いお茶を飲んだら風呂に入れという。
雨ん中大変だったねでも、ありがとねでもない。
夜中に親父に起こされて、強烈な風雨で雨戸がガタガタして外れそうだ。
予想外の風で晩の内に雨戸を釘付けしておいたが、そんなもんでは収まりそうにない。
親父はハシゴをかけて雨戸の上の方に、ビショビショになりながら、大きな釘を打ち込んでいる。
子供の俺は親父の手元が暗くならないように、下の方から懐中電灯を照らしている。
畳の部屋が14室もある百姓家だから、2時間近くかかった。
親父は「ありがとう」でもない「大変だったな」でもない。
黙ったまま風呂場へ連れて行き俺に手ぬぐいを渡した。
今夜は、風呂場に二度来た。
俺が冷えた身体を拭き終わると、「先に寝ろ」と言って親父も裸になった。
子供心に興奮して寝付けない。
聞いた事もないような大風で、ゴーゴーいっている。
翌朝薄暗い内に起きて、弟と村を見て回った。
村のでかい百姓家が何軒も屋根が全部吹き飛んで、柱だけになっていた。

こうやって育ってきた。
家族中で働いて、それぞれが役割を果たしている。
そんな事をいちいち「大変だったね、ありがとうね」何て言わない。
親父は役場から帰ってくるなり野良に出て、暗くなるまで働いていた。
夏の間はいつも晩飯は9時頃になった。

この年になって同じように百姓をすると、「大変だねぇ」「頑張るねぇ」とか言われると、
墓の下で親父がクスクス笑うような気がする。
「篤史ぃ、そんな事で褒められるようになっちまったか、情け無いなぁ。
男は褒められたらお終いよ」