悩む事をやめた理由

今朝起きしなに、最近覚えた「!100万本のばら」を口笛吹いていたらしい。というのも意識もなしに吹いていたので、布団の中にいる女房が、「70になって、起きた途端に口笛吹きたくなるひとが、何人いるんだろうねぇ」と笑いながら言った。いつ頃からだったかは定かでないが、そういえば、悩みがなくなったからだろうなぁ。

生来、理不尽、不合理、組織の論理で個人に不都合を強いる、こういった事に憤りを感ずる人間であるがために、ロクでもないことでも不合理を感じると、他人にあれじゃ駄目だなどと、高説を述べていた。

NHKのバラエティ番組は、いまでもそうだが、面白くもなんともない。バラエティの良さは、低脳のタレントが、あり得ない馬鹿ぶりを発揮して、利口だと思っている俺などに、全く違った見方をしていることを披露して、その落差に少なからずショックを与える。ここんとこが面白いのに、NHKの放送基準にあわせて、編集するもんだから、味も素っ気もない無難な番組にしかならない。

番組作りの細かなところまで気になって、女房相手にああしなければいけない、ここが悪い、しまいには会ったこともないディレクターの、人間性にまで注文をつけていた。まぁ、文句も言わず女房は、よく付きあっくれたもんだ。
ある時からディレクターでもない俺が、番組作りに文句をつけてどんな効果があるんだとおもうようになった。むしろ、金のためとはいえ、NHKの方針に合わせて、面白くもないことを言わされているタレントの気持ちを理解するようになってきた。だんだんNHKに限らずどの番組を見ても批判する事が少なくなった。(ただし各社の反日偏向報道はなんとかしなくてはいけないと思っている。)

大塚家具の騒動を聞いても、批判するよりも、親父の立場、娘の立場とその取り巻き。セブンイレブンの騒動も、鈴木敏文の立場、改革革命軍の立場、暴力を振るったと言われて謝っている教師の立場、それぞれの立場を思いやるようになると、批判するよりもあるがままに受け入れて、そんなもんなんだ。と考えるようになってきた。自分の力で解決出来ないことは、批判する時間さえ無駄だと思い始めた
テンポス、あさくまにとって、歴史的大変革期に入っている。計画通りいかない事ばかり、いちいち批判している暇はない。「解決しなければいけない課題」は山積み。優先順位の後の方の課題については、客にも、社員にも、業者にも、分かっているもうちっと待ってくれ、あっちコッチに行って「もうちっと待ってくれ」物理的に今やれない事が、山積みになってくると、やれないんたから、「悩んでもしょうがない」と割り切るようになってくる。つまりは「解決しなければいけない課題」は有っても「悩みではない」となった。

身近なことで、出っ歯が嫌なら金をかけてでも矯正すれば良い。金がなくて、治せないなら、つまり、解決出来ないことなら、それは課題ではない。解決出来ないから「悩むんだ」っていう人は 悩む暇があるから悩めるんで、出っ歯ごときで悩んでられない人を人を見れば、自分の幸せな立場が分かるってもんだ。

結論

解決しなければいけない事は課題
解決出来ないことは悩みのタネ。悩んでられる時間がある事を感謝して、悩むこと、趣味か楽しみとせよ。もしくは、あるがままに捉えて、その状況の中で生きていく事で、悩むことを捨ててしまう、気持ちの持ちようをトレーニングすること。それでも悩む人は「悩むのが趣味か楽しみ」

以下堂々めぐり

森下篤史ビジネスアスリートブログ