66才を迎えて思う。
村を出でて 親を捨て、早50年 齢 66に至った。かえりみれば、恥ずかしきことの数々。
時代に翻弄され、紆余曲折の末、未だ成らず池塘春草の夢 階前の梧葉既に秋声。
中国の儒者であった朱熹は、「偶成」と題した詩で「少年老い易く、学成り難し、一寸の光陰軽んずべからず、未だ覚めず地塘春草の夢、階前の梧葉、己に秋声。」と歌いました。
幼少より学問を志しながら、そろそろ老いを迎える年齢になっても、未だ大きな成果を果たせずにいる。
もはや残り少ない人生だからこそ、ほんの瞬きする刹那ですら、時をおろそかにしてはならないのだ。
春の池の堤に萌えはじめた若草のごとき端々しい、大志への夢はいまも変わらず覚めていないのに、ふと気がつけば、石段の脇に繁る梧桐の葉が秋の訪れでいつしか色づいているように、自分自身が人生の秋ともいうべき初老の時期にさしかかってしまった。
あの葉がやがて儚く散ってゆくのと同様、自分もこのまま志を遂げることなく、いずれはこの世を去るばかりなのだろうか。
止めるすべもなく、無常にも時間だけが移ろい、ただ過ぎ去ってゆく。
残り少ない人生を あと35年現役で働こう。と去年決めた。
既に一年経ち、残り34年となってしまった。
果たしてこの一年は価値ある時間で有ったろうか!
5~8年で165億→500億
次の5年で500億→1000億
最短10年で1000億 最長13年で1000億
最長13年とすると残り21年ある。
企業理念 「我々が作り上げたビジネス上の発明発見は、テンポスのものではない。人類のものである」
100年 200年前、家族を犠牲にし、己の命を賭して、病気治療に取り組んだ医者。
人の評価や、打算はない。
我々も、それほどの才能があるとは思えないが、せめて心意気は200年前の科学者の心意気を持ちたいものだ。
果たして創業16年、人類の役に立ったと言う実感はない。
人の役に立ち、国の役にたっているか。実感もない。
家族を幸せにしたか、実感もない。
彷徨いながら、今後も生き続けるのであろうか。
たて続けに、みじかな人がなくなった。50を超えたばかり。
なにを思って死の床についている。冷たい体をしてやり残しが思いやられる。
僅かの先では、来期予算を侃々諤々。