いじめをなくす

正月ともなると2家族5人の孫5才×2 3才×2 2才×1人 幼い子らはものの取り合いをする。
たった4~5才でも、言い争いの中に大人のイヤラシイ言い方を見る事がある。
息子も娘も平均的日本人に育ったようで、「争いは良くない」兄弟喧嘩の仲裁を必ずする。
喧嘩の仲裁と言えば、田舎の村育ちの俺は、大人になるに従って違和感を感じたもんだ。
やらせておけば良いものを。
20年も前になるかな~
所属していた東京中小企業家同友会では、新卒の社員教育を千葉の鴨川ホテルで、合同でやっていた。手づくりとはいえ、「ここまで作り上げたのか」って言う位手抜きのない見事なものであった。幹事の努力がよくわかる熱気も伝わって来た。
但し3泊4日 1社員 8万は当時の会社「KyoDo」には負担しきれなかった。
2~3年はそれでも送り込んでいたが、新卒が10人になると80万を超えて来る。
教育内容は素晴らしいし受けさせたいが、いかんせん80万は無理であった。
3万で収まるやり方を、中小企業家同友会の太田支部に提案した。
合理的な人と入会して間もない人の多くは賛同した。
一方、鴨川研修の幹事はもとより、入会の古い人程鴨川グループに対するしがらみがあって、賛成するわけにはいかなかった。
反対の理由は、「分派活動」既にやっている事を別のグループを作ってやる事を「分派活動」とよぶ。
初期の中小企業家同友会の創設者の中には、共産党員も多くいた。
テンポス上場にあたり、「加ト吉」に資本参加をお願いに、四国の本社に訪問した。
金毘羅さんの加ト吉経営のホテルで、加藤会長と語り明かした。
その日の話題の一つ 中小企業家同友会の話が出た。
加ト吉は既に一部上場会社であった。「森下さん 同友会の活動は控えめにした方がいいですよ。私も同友会精神に賛同して入会したのですが、親しくしている公安から、同友会はマークしている団体だとの指摘があり退会しました。」と加藤さんから助言があった。
平成7~8年の日本では死語の「分派活動」と言う言葉が同友会では使われていた。
「分派活動」などと言う言葉は、共産党か、労働活動家以外使かわ無いし目にもつかない言葉。
私は単に、社員教育をもっと安い費用でやろうと提案しただけである。
太田支部はしがらみ派との争いになって来た。
浮動票を集めた「森下維新の会」が優勢であった。
幹事会で実行するか否か侃々諤々の討論をしたが、少数派の活動家は何回幹事会を開いても、裁決を取ろうとしない。
共産党の論理は、もっと議論を深めよう。聞こえは良いが少数派に賛同する迄「もっと議論を深めよう」自分の意見を通す迄言い続けるそのエネルギーはすごいもんであった。
大学の寮では連日連夜討論会をして来た。コッチも筋金入りのノンポリである。
しがらみのない人の中には、険悪になるならあんなに一所懸命「議論を深めよう」と言ってるんだから「どうだ森下さん、ここは折れてみたら」
いるんだこういう輩が、なにが正しいかより、仲良くやろう。争うなら主張を取り下げよう。
こう言う連中は、喧嘩をした事がないから、言い争い位で後の人生が思わぬものになってしまうのではと恐れている。
幹事会の運営に俺も怒号を発するようになる。少数派の中にも元気の良いのがいて「何だこの野郎」なんて答える。
段々気分は高揚して、お馬鹿な青年に戻ってしまった。
大体「なんだこの野郎」なんて言う奴は単純だから、二次会の席では俺と少数派の単細胞が並んで飲み食いしていた。全く忘れて屈託もなく「ヤァヤァ」なんて言って。
そんな席で、幹事会の話を蒸し返すなんて大人げないし。
酒も進んで話に花が咲く、裕次郎が死んだか生まれたかって言ってるうちは良かったが、そこに居る20人はみんな経営者。誰ともなく商売の話になる。会社は人だよなどと言う。
言わなきゃいいのに、やっぱり人は育てなきゃぁな、評価だ待遇だって言ってるうちは本物の経営者にはならないよ!
教育熱心な長老の一人が熱弁をふるっている。
向こうの席で太田支部で3万の合同教育をやって何が悪い!!触れてはいけないテーマになった。
酒も効いて来た。単細胞の二人はとなり同士だから始末に悪い。
大声を張り上げるものだから、フロアの客が居なくなってしまった。
争いの嫌いな良識派が、「森下さん!客に迷惑だよ!」
蓮沼の「八百屋町」社長は、やる気十分の石井さん。
「客なんかいねぇよ。おうっ店長う!店!閉めちまえっ」
二人の怒号がさらに激しくなり、俺もいよいよスポーツタイムだなぁなんて思いながら、そいつの腕を振り払おうとした。
良識派、穏健派が多くて、尖閣列島の小競り合いも、国連軍に引き離されてしまった。
稚内を追われて一日だけとはいえ牢屋にも入った事のある菅沼社長が「ほっとけ!この二人は喧嘩したいだけなんだから!」大声で怒鳴った。こう言う育歴のある人の前に出ると、俺なんてただのボンボン。
羽交い締めにされて押さえつけられている態勢をしたママ、場数を踏んでいるなあとおもった。
結局 国連軍の裁定により、その場は収まった。
以降 奴から無視されたままではあるが。

アアっ 我が家の孫たちも、親の裁定が入り、「喧嘩する事はよくない」と叩き込まれてしまうのだろうか。
「喧嘩しなきゃぁならない時もある」って教えていないから、ひとしきり取り合いをした後、子供らしくもなく「ゴメンね」なんて謝ったりして、上手に育てちゃあダメなんだ。馬鹿たれ子供は謝らない!強いものが勝つ!弱いものは悔しい思いをする。
そうやって大人になる。それをバネにするものと、ひねくれてしまうものが出来る。
ひねくれないように育てるのが大事で、争わないように育ててはいけない。

イジメの現場にいても、争わないように育っていると、話の通る相手かどうかを見極めて、話のとおらない相手にはかかわらないようにする。イジメらている子が目の前にいても、その為に争う事になるのならその場をそっと去る。
争い方を知らない。
義 の為に争う時は、自分の事を心配していては争えない。いよいよになったら「けが」をする。
当たり前の事で、怪我をしたって、血が出るか 歯が折れるか どっか骨折するか。そんな事は当たり前!
痛いだけだよ!
うちの孫のように、争わない人間を作ってはいけない。
どんな時は戦わなければをおしえておけ。
1 誇り を傷つけられた時
2 義 のために戦う
3 助ける

孫がもう少し大きくなって、チャイルドシートがいらなくなったら車に載せて、何日もテントで旅をするか。
勇気のある子に育てる。怪我をさせる。5人ものチャイルドシートを載せるわけに行かん。