働き者は損をする?

100家族で沃野の新天地に移住したとする。
すべての家族が同じ条件で開墾して、農地を切り開いて米 麦 野菜作り 山羊を飼ったり鶏を飼ったりした。
十年もしないうちに田畑の開墾した広さに差が出てくる。
朝早くから夜暗くなる迄働きづめの家族。
楽しみながらやっている家族。
少し怠け者の家族。
誰に言われるわけでもなく、差がついてくる。
ある年飢饉になった。
働きづめの家族は、怠け者の家族に食べ物を分けてやった。
翌年、働きづめの家族は、例年通り朝早くから夜遅く迄働いた。
楽しみながらやっている家族は、楽しみながらやるし、少し怠け者の家族は少し怠けた。
翌々年また飢饉になった。今度の飢饉は前の飢饉よりきつかった。
怠け者の家族は、哀れみの声を出して「助けてくれと言う」
ほっとくわけにもいかず、食べ物を分け与えてやった。
次の年 怠け者の家族に、働き者の家族が、「もう少し働いた方がいいよ、又飢饉になったら大変だよ。」と言ってみたが、
少し余分に働くだけで、余り蓄えをしなかった。
2~3年は何にもなかったが、4年目に大きな飢饉が来た。
働き者の家族は嘆いた。
「俺たちは、怠け者の家族を養ってやるために、毎日朝早くから働いているのか」と。
もし働き者の家族が、食べ物を分け与えてやらなかったら、良識派の家族が「我々はまだ良い、何とか一年位は凌げる。あの3日も食べないで水だけでいる家族のために、ここは一つ大人になって恵んでやっていただけないだろうか」と言うに決まっている。
断ったら村の仲間から相手にされなくなってしまう。
断る働き者の家族に「理」は無いのだろうか。「ノウ」とは言えないのだろうか。
年金を毎月5万なにがしもらっている爺さんが、「俺は少ない給料から天引きされた年金をもらっている。
生活保護の受給者は、俺の何倍ももらっている。
かわいそうな身の上だってのは分かるが、何だか面白くない。」
退職金は途中で辞める人のためにあって、残る社員のためにあるのではない。
途中で辞める人に支払う必要があろうか。
弱者救済が心地よく聞こえ、「強いものが助かる」なんて言おうものなら、独裁者の自己中心的!などと蔑まれる世の中。
何と言われようと、今日も朝早くから働いてしまった。