鬱状態になり、会社の朝礼に出ると、真っ直ぐアパートに一直線。
布団に夕方まで潜り込んでじっとしていた。
6時には家内が勤めから帰って来るので、恥ずかしい姿は見せられない。
5時半にはアパートを出て会社に戻る。
直ぐ帰るのも気が引けて、デタラメの日報を書いたあと、用もないのに2~3時間 同僚と話すでもなく、やることもなく、机に向かっていた。
何をしていたかまったく覚えていない、死んでいた時間を3ヶ月過ごした。
そこまで落ち込む前の6月、何とは無しに駅前の日興証券に入った。
株などやったことはなかったが、
隅にあった「株式新聞」に目をやると、一ヶ月で5割上がる株!と大きく見出しの記事。
新聞を小さくたたんで家に持って帰り、翌日貯金を全額はたいて、なんとか海運という会社20万に投資した。
(共稼ぎなので一人分の給料は全額貯金をしていた)
一ヶ月したかしないかのあたりで、歴史的なドルショックで、株式市場激震が走り、全ての株は大暴落 持っていたなんとか海運も半分近く下がってしまった。
青い顔して家内に報告した。
「それでいくら損したの?」
「10万」
「持ってれば、戻るわよ」
追及するでもなく、それで終わり。
家内が太っ腹の訳
実家はお茶の仲買、市況任せの博打商売。
小学校1年の時には、ピアノがあって、自家用車もあったそうだ。
俺の村中では医者が自家用車を一台持っているだけの時代。
6年の時には破産して、借金を踏み倒して、静岡から逗子に夜逃げして来た。
なけなしの金で、小さな家を買ってお茶の小売を始めた。
家の代金を渡した不動産屋が持ち逃げして、一年後に地主との裁判に負けてそこを追ん出された。
父親は1年生の弟を連れて何処かに行って戻って来たのは2年後。
その間、6畳に母親と3人で住んでいたが、学費も給食費も払えないので、7ヶ月学校に行かずに、家から出ないでいた。
それに比べて俺は親父が役場、お袋は教師、世間の波風のあたらない生活をしていたから、冷たい風に当たったことのない、僕ちん!
筋金入りの太っ腹の女房と勝負になるわけがない。
鬱だなんて布団に潜ってじっとして何していなくても、やらんでもいいことに手を出して、自分の株は下がるだけで、上がる気配もない。
弱り目に祟り目のモデルケースみたいなもんだ。
自暴自棄になって、荒れて転落しないで、ここで踏みとどまって居れたのは、
1 女房が、泰然自若、でんとしていた。
俺は悩みながらも、女房の反応をみながら、自分の不幸を推し量っていた気がする。
2 秤の性能は話にならなかったが、そこは上場会社、同僚がまともな人ばかりで、自暴自棄の俺を下に引っ張る人がいなかった。
3 酒を飲まなかったので、女のいるところには行かなかった。
悩んでいるだけで、落ちては行かなかった。
自力で這い上がったわけではない。
どんな人たちの中にいるかってことが、自分を救ってくれた。
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