今日も、価値ある一日だったかい?

炎天下の山の斜面、一日中草刈り。
水は2リットル飲む。シャツは汗でビショビショ。
昼は1時から3時まで、2時間は昼寝をしないと、体が持たない。
涼しいうちにやると能率が良いから、朝飯前に3時間やっておく。
片道4時間30分を日帰りの時もある。

この仕事をやってくれと頼まれたら、日当はいくらで受けますか。
いくらでも良いが、やらない。という人が多いと思う。
2万ならやるか、3万ならやるか。

村の年寄りにとって、当たり前の毎日だ。
東京もんの俺がやるから、大ごとのようだが、こんな事は何でもない事なんだ。
慣れてないから午後の4時過ぎてくると、脚がシッカリ地面をとらえなくなるので、何回も転ぶようになる。
刈ったばかりの、ススキの切り株に、手首をさして、血が止まらなくなったり、三カ所は、蜂に刺される。

あーあ!今年も草刈りの季節かよ!とはならない。
当たり前の出来事だから。
後20年は草刈りに通うつもりだ。
山登りも、月に一回はやる。
其のおかげで、毎日運動を続けられる。三浦雄一郎に負けない様に、

体力的には、会社の仕事が大変なんて事はあり得ない。今の季節の草刈りを思えば。

日当を貰ってやると、頼まれたからやってあげる。という気持ちが生まれたり、仕事として義務でやらなければいけないと、思う心が生まれる。

村のシルバーに仕事を頼むと、長年百姓を続けて来た人は、頼んだ時間よりも1時間も早く来る。
頼んだ仕事以外の、事も当たり前のようにやってくれる。
ところが、最近シルバーに登録した人の中には、楽をしたいという気持ちで草刈りをする人がいる。

この差はなんだ!

頼まれ仕事であれ、会社の仕事であれ、「コレは、自分の仕事」と決めて取り組まないから、
ついイヤイヤやる羽目になってしまう。

何とかわいそうな人生をおくることか。
イヤイヤ一日を過ごすなんて。
言われた事をやろうとするから、イヤイヤになる。
10日までにやってくれと言われたら、8日には終えてしまえ。
8日に仕上げると決めたのは「自分」
その時から、義務から開放されて、自分の目標になる。
全ての指示を、自分の目標に置き換えろ。
30年、40年と指図されて生きるか、自分の意思で生きる人生を送るか、

評価を気にすると、またとらわれてしまう。
自分の人生を、給料や地位にとらわれると、自分の目標でなくなってしまう。
評価が気になる人は、天から与えられた仕事、出来上がりは、天が評価をする。
天に恥じない取り組みをしたがが、評価であるときめないから、不満が残る。
縛りから開放された「ビューティフル、ライフ」

そうはいうものの、我々凡人は、そんな崇高な生き方ばかりはやってられない。
俺は他人様からいただく評価は、良くやった、素晴らしい、ではなく、「ビックリ」を基準にしている。
サラリーマン時代から、出来栄えは「ビックリ」を目標にして来た。
社内の競争のゴールは「ビックリ」。
給料やボーナスを気にした事はない。「ビックリ」させられなかった事を悔いた。
「ビックリ」を目標にすると、大変な事に取り組むのは当たり前になる。
いつしか、実力がついてくる。
褒められるとまだまだだな~と思う。「ビックリ」させてないから。