「利己」足りて「利他」を知る(Smiler84号)

「菜根譚」という中国の古典書をご存知だろうか。人と交わる道を説き、自然と閑居の楽しみを解いた随筆集だ。処世訓の傑作として、松下幸之助や田中角栄、吉川英治、野村克也などが愛読していたことでも有名だ。

菜根譚が書かれたのは、明の時代。儒教道徳が形がい化し、既存の価値観が揺らいでいた時代だったそうだ。現代の時勢にとても良く似ている。飲食業も変化の波は大きく、いろいろと模索している経営者も多いだろう。そこで、変化の時代の経営者としてのあり方、考え方を改めて菜根譚から学ぼうと思う。菜根譚の愛読者でもある森下社長に聞いてみた。

情けをかけることができるのは幸せなこと

東日本大震災が起きて1週間後くらいに、炊き出しに福島まで行った人がいた。でかい鍋とガスと水を持って、24時間がかりでだ。しかしカレーを提供したら「なんだよ、またカレーかよ」という人がいた。それを聞いて頭にきたスタッフが「嫌なら食べなくていいよ」と言い返した。テンポスの役員研修の時に、この話をしてどうすればいいと思うと聞いたら「またカレーですけど、食べたい人だけ食べてくださいね」と言えばいいと答えた。「嫌なら食べるな」と言うよりは優しいけど、言い換えただけで、心の底には同じ気持ちがあるよね。

菜根譚的には、こういう時には感謝されないとか、態度が悪いとか、そう言うことに関係なく、人に与えること自体を、それができていることを幸せと感じて、喜んで分け与えるべきと考える。

平成22年度の文化庁「国語に関する世論調査」で、「情けは人のためならず」ということわざの意味について、ほぼ半数もの人が間違って答えたことが話題になった。多くの人が「人に情けをかけることは、結局はその人のためにならない」と間違えて覚えていたのだ。正解は「人に情けをかけると、巡り巡って結局は自分のためになる」である。けどこんな風に言葉通り解釈してはいけない。情けとは自分のためになると期待してかけるものではないからだ。

人に何かしあげたことはよく覚えているもので、良くしてあげた相手から嫌な対応をされると「あなたにいろいろしてあげているのに」と怒ってしまう人がいる。これは、相手に期待をしているからなんだよな。冒頭で話したカレーの話だって、カレーを提供すれば感謝してもらえるという期待がどこかにあった。だから「嫌なら食べなくていいですよ」という言葉がでてしまうんだ。菜根譚の考えで言えば、感謝の気持ちを求めず、“与える”ことそのものに喜びを感じることで、人生が充実していくのだと説いている。

余裕のない人はたくさんいる。自分がもらう立場になることだってある。自分に利があるから情けをかけるという考えではなく、そういうこともあるかもしれないけど、情けをかけることができるくらい自分が恵まれた状況にいることを天に感謝して、喜んで分け与えればいいんじゃないかな。

災害に遭わずに、貧乏にならずに、暮らしていられることは、とても幸運なことだと思うことから始めてみてくれ。

テンポスはツベルクリン

菜根譚的には、寄付なんかもこっそりやる方がいいと言うことになる。コロナ禍の時、自分の商品やお金を自治体に寄付して、市長に渡している写真と感謝状をフェイスブックに載せた社長がいたけど、それはダメ。と言うよりこれは寄付でなく企業活動だよ。広報、宣伝。菜根譚的には、情けを宣伝に使ってはいかん。

飲食店も儲かって銭が貯まってきたら、地元の人に恩返しをするといい。感謝デーを作ったり、老人の日に70歳以上の人をただにするとか。人のためにお金を使うことができる飲食店になれたことが嬉しい、お客様に喜んでもらえるのが嬉しい、そう思ってやらないといけない。これで利益がいくら残るんだ、と考えたらそれは販促だ。

テンポスは飲食店を助ける仕事だと、俺は本気で言っている。だからホームページやポスターを作る集客支援を始めた。競争が激しくなっている現代は、昔のようにいいものを作れば売れる時代ではない。宣伝や販促施策が必要だ。オープン告知をしなければお客様は集まらないし、ホームページがなければお店の存在にも気付かれない。

結核で死亡する人が多かったときに、国は、国民全員にツベルクリン反応検査とBCGワクチンを強制したよね。これは国民を大事にしようと思ったから。結核で死ぬ人を減らそうと思ったからだ。テンポスはツベルクリンと同じ。死亡する飲食店を減らしたい。だから強制的にでもホームページやポスターを作ってあげるべきだと考えている。

何度も言うけれど、そう言える環境にいることが幸せなんだ。食えるようになるまでは一生懸命働くべきだ。しかし貯金が少しずつ貯まってきたら、いつまでも貯め込むのでなく、困っている人のために使おうよ、使える人間になってほしいと菜根譚は言っている。俺も、飲食店を経営する皆様も、ちょっとずつそうなれるといいなと思う。どこかで貯めたお金を人のために使いましょう。

礼節より上に菜根譚はある

人のために、なんて偉そうなことを言ってるけど、俺もはじめからそう思えたわけではない。衣食足りて礼節を知ると言うけれど、飯を十分に食べられない時は、自分のことで精一杯になるのは当たり前だ。飯が食えて、貯金が貯まって、はじめてまわりのことを考えられるようになる。礼節を知るようになる。

俺なんか、育ちが粗野だから、上場会社の社長になってもまだ礼節の点では問題がある。だけど俺の中では礼儀や節度より上に菜根譚がある。だから稼いできた金を、人のためにどう使おうかと考えられるようになった。

欲深いのも礼節が足りてないからで、俺も若い頃は人より抜きん出て稼ごうと躍起になっていた。人のためでなく、自分のためになることだけを考えて行動してたと思う。でも欲というのは大切で、欲がないと人生は進んでいかない。しっかり稼ぐこともできなくなる。よくのない奴は、行動しないし、そもそもやる気がない。生きる欲望がないから、どうでもよくなるんだろうね。

利己の心で、金が欲しい、車が欲しい、出世したい、と思って動く方が多分成功する。人のために使える金を貯められる。生きるエネルギーのない人は、人のために動こうとも思わないのではないだろうか。己のためにエネルギーを使いきった経験があるからこそ、人にもそのエネルギーを使えるようになるんだと思うよ。