燃やせ!にっぽんのDNA

緊急事態宣言も徐々に解除され、飲食店にもようやく夜の明りが灯り始めました。このタイミングで突入する忘年会シーズンを契機にまた賑やかな日常に戻って欲しいと願うばかりです。

近頃は夜歩きが出来なかった影響で昼飲み需要が勢力を伸ばし、リーズナブルな価格設定のファミレス業界では昼の「ファミ呑み」なる言葉も登場。グルメサイトも「昼宴会」特集ページを組んだりと、昼夜のせめぎ合いに揉まれ続けた飲食店はアフターコロナの新たな変化を求められています。

ところで、宵越しの銭は持たないイメージの江戸っ子も実は昼酒も楽しんでいました。夜明けと共に働きに出る亭主の留守に長屋の女房が集まって酒盛りを始めたり、日本を訪れた外国人の日記には「昼間から刀を持った酔っ払い武士が千鳥足でフラついていて危ないことこの上ない」とも書いてあったそうです。

天下泰平の江戸時代は現代と違って昼酒の優越感と罪悪感を楽しむと言うよりは、持て余すほどある時間を潰す為に居酒屋でクダを巻いていた様ですね。

やがてその酒道楽達が「江戸の飲み倒れ文化」を花咲せて現代に繋がる飲食業界のルーツをつくるのですが、そもそも居酒屋が始まったきっかけは、コロナ禍と同じ様な災害や天災がきっかけだったとは、これいかに。

1657年「明暦の大火」の後、焼け野原になった街の復興工事に集まった労働者をターゲットにした茶飯屋が居酒屋の始まりと言われ、豆腐汁と共に酒も出す煮売酒場と呼ばれる存在が街のあちこちに広がりました。
また1782年から数年続いた「天明の大飢饉」では故郷を追われた農民達が江戸に流れ込み手軽に開業できた酒の飲める屋台を始めると、田楽や燗酒で大衆の飲酒欲を誘って、寒かった江戸の冬の風物詩にもなっていったそうです。

災いを転じさせ福に変える江戸っ子のバイタリティから産み落とされたアイデアが大衆の心とニーズをわし掴み、居酒屋や外食産業の礎になっていくあたりは超ミラクルであり必然でもあり商いの原点だとも思います。

そこからは隣町より美味い料理を作ってやろうと意気込んだり、アイツの店より繁盛してやろうと試行錯誤や切磋琢磨を繰り返したり、工夫改善がお家芸の日本人はあらゆるものを燃やし、その情熱とライバル意識が江戸パワーの源となって居酒屋文化を発展させたんですね。

日々の暮らしも世界の流れも大きな転換点を迎える今こそ、天災から復興に向けて一歩ずつ努力する「にっぽんの気質」と、誰よりも負けず嫌いな「江戸のチャレンジ根性」を受け継いだ私達が新しい道を切り拓く番です。天晴レにっぽん!

記事:野崎均

「日本の力強い食文化を伝えたい」という思いから、大衆食文化とにっぽんの美味しいを集めた『天晴レ にっぽん 大衆まめ皿酒場 いまや』の店主。

長く飲食業界で働き、十年来の夢だった店を開いたのは2019年12月。その4ヶ月後に緊急事態宣言が出て時短営業を余儀なくされた「いまや」は、どこにでもあるような大衆食堂。しかし一歩足を踏み入れるとそこは目眩く(めくるめく)発酵ワールド。

華のお江戸の庶民の食べ物は質素だけれどもすごくパワフル。お米や醤油そしてお魚をかっ喰らってバリバリ働いていた江戸っ子たちのエネルギッシュな暮らしを400年の時を越えていっしょにタイムスリップしてみませんか。