神楽坂の星付きの名店「蕎楽亭(きょうらくてい)」から暖簾分けを受けて独立したのは、最上はるかさんだ。修業時代は、仕事は早く終わらせて、空いた時間に蕎麦の切れ端を集めて練習する等、早く独り立ちできるようにと努力した。休みの日にはメジャーを持って厨房を採寸し、自分なりに図面を描いてみたり、修業の6年間は独立に向けて没頭する日々を過ごした。そして2012年に「蕎楽亭もがみ」をオープン。
“あの蕎楽亭”の暖簾分けという話題性から客足は上々。一方でそれが、重いプレッシャーにもなった。忙しさのあまり満足のいく接客ができなかった時や、本家「蕎楽亭」の熱烈なファンからの厳しい口コミを見た時は、「親方の看板」が重くのしかかり、「もっと、できるはずなのに」と焦る気持ちも募っていった。「オープン当時は、蕎楽亭の看板に恥じない店にしないと、というプレッシャーをすごく感じていました。ちょっとした失敗で落ち込んでは、意味もなく遠くに行ってみたり、飲んだくれてみたり、ときには臨時休業してしまったり・・・、たくさん悩んだ1年を過ごしました」
最初は、メニューも値段も勝手に変えてはいけないと思い込んでいたという。しかし、1年が過ぎて、いろいろなことが落ち着いてきた頃、つきものが落ちるように思い込みが解けた。自分の店だと感じられるようになり、店を経営しているんだという自覚が生まれた。
29歳のとき、最上さんにさらなる転機が訪れる。出産にあたり店を休業するか、それともこのまま店を辞めてしまおうかと悩んだ。そんな時、親方の「絶対にやめない方が良い、大丈夫だから」の言葉に背中を押され、産前産後合わせて8カ月間、店を休業した。
長い休業は不安だったが、店を開けたら、すぐにお客様が戻ってきてくれた。また、近くには新しいマンションが建ち、新しいお客様も来店してくれた。店に毎日立っている時には気づかなかった、世の中の変化を強く実感するとともに、でも変わらないものもあるのだと安堵した。
「悩んでいたことも、全然たいしたことではなかったのだと、見え方が変わりました。開業以来、上手くいかないこともたくさんありましたが、それも成長する糧になるんだなって。悔しくて落ち込むこともあるけど、その分嬉しいこともある。良い事、悪い事が交代で来る。気づいた課題をどんどんクリアする、その繰り返しなのだと。そして、今は2人目も生まれて、地に足がついてきました。落ち込むことも少なくなり、もっとしっかり稼がなきゃと思うようになったんです。“稼ぐ”ためには、お客様の信頼を裏切らないことが大切。自家製粉にこだわり、手を抜くことなく、お客様に喜んでいただける、そして選んでいただける店に成長しなければ、と思います」。
◆取材協力
店主 最上はるか氏
店名:蕎楽亭もがみ
住所:東京都新宿区中里町3番地
記者:スマイラー特派員
乙丸千夏(テンポス広報部)