さ迷っていた青春時代

ビジネスアスリート 森下篤史

そういえば大学を2年留年して、5年6年とダブってしまった。
授業もほとんどないし、暇だからって、毎日アルバイトに行くわけでもない。
食うに困らない程度に、働いていた。
大部分はブラブラしていた。
精神が真っ暗闇で、明かりが見えなかった。
甘えていたのかも知れない。
寮にいたから、朝10時頃誰もいなくなった食堂で、丼ご飯が、乾いていた。
熱湯をかけて、冷えたもやしの味噌汁と、薄い鮭の切り身で遅い朝飯を、一人でとった。
部屋に戻って、布団に入る、1時30分頃起き出して、蕎麦屋でカツ丼を食べて、また寝る。
200人程の寮生がいたが、夜の9時頃になると、家庭教師のバイトから帰って来て、賑やかになる。
布団から出て来て、マージャンを夜中の1時頃までやる。
こんな生活 嫌だ嫌だと思いながら、ダラダラと卒業した。
教育学部がから、まともな人は皆教師になった。
教員採用試験には合格したが、面接の日に寝過ごして、2時間遅れて会場に行ったが、すでに誰もいなかった。
民間会社に入社したものの、セールスマンになって6ヶ月、全く一つも売れなかった。
やる気をなくして、朝礼が終わると、アパートに戻り、何をするでなく、夕方帰社し給料だけをもらっていた。
卒業と同時に結婚したが、心の闇は晴れるわけでなく、人生に確信が持てなくて、9月に退職届を出した。
慰留されて残ったものの、それからの6ヶ月も、相変わらずであった。
この3年はさ迷っていた。