なぜ飲食店の閉店率は高いのだろうか。原因を挙げればきりがない。パクリパクられは当たり前、慢性的な人手不足、食材仕入れの高騰など、様々な理由が絡み合い、気づけば閉店まで追い込まれていた、そんな人も多いだろう。では、オーナーは自分の店を守り続けるためには何をするべきか。実際に閉店した人のリアルな声を集めて、「閉店する人が後悔する25のこと」にまとめたテンポスホールディングスの代表取締役、森下篤史に、本号では25のうち「閉店する人が後悔する3つのこと」を伺った。
―森下
閉店する飲食店には2つのタイプがある。一つは、誇りをもって一生懸命努力するが唯我独尊(ゆいがどくそん)タイプと、誇りはあるという程度の淡々と真面目に仕事をするタイプ、この2通りだ。一見、前者は閉店とはほど遠いように思えるが、実は、閉店する飲食店に共通しているのは、経営にとっては当たり前ではあるが、一番大事なことが抜け落ちていることに原因がある。
店に来るお客というのは覆面調査員のようなもので、いろんな店に行っては、「美味い」「まずい」「笑顔がいい」「店が汚い」と、厳しい目で比較した上で店選びをしている事を知らない店主はいないだろう。しかし、ほとんどの店主は他の店に食べに行かず、昨日までの自分の店と比べて良い店になろうと、メニュー開発やスタッフ教育に一生懸命取り組んでいるが、その努力は独りよがりでしかない。他社と比較して本当に頑張っていると言えるかを考えながら努力をしなければ意味がない。努力タイプと真面目タイプもお客が、他の店に行って自分の店を比較している、という当たり前のことが抜け落ちている。
店主は常にお客は何を求めているのか、他店はどんなメニューを出しているのか、従業員の質は自分の店とどう違うのか研究し続けなければならない。大原則は競争社会で何をするべきか、判断基準は「自社」ではなく「他社」との比較にある。
お客さんが来たのに「いらっしゃいませ」と言えなかった・・・これは最低だよね。しかし、これが出来ていない店が本当に多い。何で言えないのか考えたときに、俺の愛犬“朝潮”を見ていて分かったことがあるんだ。
毎朝1時間、朝潮(犬)の散歩に行くことが日課になっているが、俺が5時に起きて居間に降りると、その物音を聞いた朝潮は小屋から勢いよく飛び出して、玄関の前で今か今かと俺のことを待っていてくれるんだ。だけど、なんやかんやで30分も散歩を待たせてしまう時もあるのだが、それでも玄関を開けると満面の笑みで尻尾を振りながら嬉しそうに飛びついてくる。だから俺も「悪いことしたな、今日は少し遠くまで行ってみるか」、なんて思って朝潮のあごを撫でたりしてしまうんだよね。「よくも待たせやがって、この野郎」なんて態度を朝潮にされたことは一度もない(笑)。人間だったら「遅いよ!何分待たせるんだ」「俺だっていろいろあんだよ!」と喧嘩が始まることもあるけど、朝潮はどんな時でも嬉しさを表してくるから、こっちも申し訳ないなって思えてしまうんだよね。
犬は「こんにちは」なんて挨拶はしないけど、嬉しい時は、尻尾を猛スピードで左右に振って感情を表してくるよね。だから飲食店もお客さんが来てくれたなら、嬉しい!という気持ちを「いらっしゃいませ」という言葉できちんと伝えなければいけない。「いらっしゃいませ」を言えない店というのは、単なる挨拶だと思っているから言えないんだろうな。だから、感じの良い挨拶をしようというのもおかしな話である。嬉しくて言う「いらっしゃいませ」に感じの良いも悪いも関係ないはずだ。嬉しいのに感じが悪くなるわけがない。ただ、そうは言っても、「いらっしゃいませ」が言えないなら、歯を3本見えるくらい口を開いて「いらっしゃいませ」と言えば、大抵のお客さんはその人の“にっこり”に騙されてしまうから、それで良しとしようか。それも出来ないなら、口の形を「にー」って横に引きながら笑ったような口にして「いらっしゃいませ」て言ってみ。ほとんど嬉しそうに見えないけど、しょうがない、これでもOKとするか。
中規模以上の飲食店は、店舗展開や業績アップを目標に掲げる場合が多いけど、小規模の飲食店は、成長よりも安定した経営を続けることを望む店がほとんどだよね。たくさん儲からなくても、お客や従業員の入れ替わりが少なければ、毎月30万~40万円の貯金が少しずつできるはずだ。そんなささやか状態を、ここでは安定経営と言っている。
しかし、この安定こそ難しい。どの店にも目端が利き容量が良くて仕事が出来る。そんな頼れる従業員が一人はいるだろう。しかし、その頼りになる従業員が良い人ならよいが、前向きだけど自己中心的で、主張が偏っていたり、わがままな人がいる。やるときは一生懸命だけど、いじけやすい、わがままな人だともう目も当てられないでしょ?
そんな、いじけた人をどうすれば良いのか。いじけてる事しか言わないのなら、雪が降った時に「初雪ですね!温かい物でも食べに行きましょうよ」そんなプラスのストロークが出来るように練習させてみたとする。しかし、プラスのストロークの文言集を渡しても、既にその人の“いじけ腰”はすわっているわけだから、自分はいじけた事を言うくせに、「プラスのストロークを見ながら、「こういう事を言わないといけないんだよ!」なんて平気で他の従業員に言うんだよね。そんな姿を見て、店主は「お前のことだよ!」と突っ込まずにはいられなくなるだろう。
結論としては、辞められては困るからと、従業員のワガママを放っておくと、新しい従業員の定着も悪くなり、店が良くなっていくこともない。覚悟を決めて、そんな人にはお引き取り願うことも時には必要だ。その後3年は苦労するかもしれない。しかし、世の中には、苦労したのに一つも儲からず店を閉めてしまったけど、そこから5年間なんとかして店をもう一度出す、そういう人もいるからね。一発目で成功すれば楽だけど、それが必ず良いことばかりではない。簡単に成功して苦労がないと、自分に力がついたように思えてくるが、挫折があると急にダメになってしまう人だっている。ずーっとうまくいくことはないのだから、今は我慢して頑張るときだ。
従業員のわがままをそのままにしておく事と、小さな不正に目をつぶる事は、似ているが少し違う。わがままは、本人は気づいていない場合が多いが、小さな不正は本人が悪い事をしていると100%気づいている。また、小さな不正を見逃していると、不正の範囲はどんどん広がってくる。だから、閉店した人で、小さな不正を見逃していたと反省する人というのは、恐らく、結構大きく悪いことをされたってことだよね。
だから、小さな不正をされたと分かった時に別室に呼び、「給料は下げる。しかし、半年たったら戻すからここで働いてくれ」と俺なら伝える。不正を許せない気持ちもわかるが、給料の減額や罰金、弁償といった責任を取らせた後は、再出発の道を示しても良いはずだ。一つの不正でその人の人格全てを否定してよいわけではない。
俺が学生の頃に通っていた4坪の駄菓子屋には、店内の隅におでん鍋があって、1個10円のちくわや、20円のモツを、いつも友達と一緒に食べていた。モツは結構うまいから、たくさん食べたくて、モツを食ったその串は鍋の中にある、ちくわに差していたんだよね。つまり、次にちくわを食べる誰かは、1本のチクワに2本の串がついてくるわけだ。バカ正直な人は、それを自分の分としてお金を払ったりする。一方で、俺みたいな人は、食べた串はそこらへんに捨てるんだよね。そんな学生時代を過ごしたが、俺も社長になり、人に法を説くようになると、どうにも過去のことを思い出して面白くない気持ちになってきたんだ。だから静岡の駄菓子屋に45年ぶりに行ってみたが、駄菓子屋は既にそこにはなかった。近所の人に教えてもらった場所に行くと、そこには駄菓子屋のばあさんの仏壇しかなかったんだよね。ばあさんの家族に、「学生の頃、よく店に来たんだ、香典をあげさせてくれ。」と頼んで家に入れてもらい、仏壇に10万円を置いておいたんだけど、何も言わずに帰ると、10万円の香典をあげたことを不審に思われると思って事情を話した。「実は、恥ずかしながら、昔ばあさんの駄菓子屋で勘定をごまかしていたんだ。そのことを考えると今でも冷や汗が出てくる。だから、その分の香典をあげさせてくれ」と。その家族は、わざわざありがとう、と喜んでくれるから、俺もホットしたのを覚えている。昔話が長くなったが、つまり、従業員が店のお金を盗むといった不正をした時に、厳正な処分は与えないといけないが、警察に行くか店でやり直すか選択肢を与えても良いだろう。一からやり直すと決意したなら、誰よりも朝一番に出社し、みんなが赦してくれるまで下働きして償う道があってもいいんじゃないのかな。
smiler40号 記事より
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