わっはっは

ケニアから飛行機で50分、一本の吹き流しがあるだけの飛行場。
4~5人座れるバス停のような待ち合い。
滑走路はぬかるんでいた。
一面と言っても100キロ向こうまでぜーんぶゴルフ場と思えば間違いない。
象やらキリンやら、インパラ、タピオカあれっ、タピオカは、違うような気がする。
まあ右から左から、動物だらけ。
カバなんて人より早く走るそうだ。やるときゃやる。って事か。
3日もいて、動物は見飽きたし、民俗村なんて「やらせ」
熱気球も死ぬような事はないし。
そんななか、ガイドが午後のサファリツアーは、ホテルフロントに3時集合ですと言った。
丁度谷の向こう20~30キロのところに、集落が見える。
民俗村ではなく、生活している村だ。そこに行く事にした8人
砂ぼこりだらけのガタガタ道を走ること小一時間。初日、ケツが痛いと言ってたけど慣れたらしい。
と言うより皆が毎日痛いので言わなくなっただけ。
何キロもあるような傾斜地に300くらいの、掘っ立て小屋が4~5軒づつ立っている。
バイク修理屋は、ブロックで屋根はトタン。錆びて、剥がれて雨が入る。
4~5人の若者がなす事もなくバイク屋にいる。
間もなく始まる雨季には300ミリの雨は当たり前だそうだ。
車を停めて、病院見物する事にした。
一行は建物に入ろうとしない。変な病気がうつると恐いだって、何処に居たって死ぬ時は死ぬ。
村のメインストリートは、幅50メートル。
直径1~2メートルの岩が200~300埋まっていて、30~50センチの高さ。
こんなところを、車で通るとあっちに傾きこっちに傾き、横転しそうだ。
何故か建物は連続して立ってない。4~5軒づつあっちこっちに傾きかたまっている。
板で出来てはいるが、山羊の小屋風である。
電気はきているが薄暗い事この上ない。
丘の上の小学校。壁はブロックで出来ているが、屋根を支えている材木は5センチ角の細くて、今にも上から落ちてきそうな、安普請以下。取り敢えず建てただけ。
寄付で賄っているとの事。今年はもう一部屋増やせると嬉しそうに30才くらいの先生が言った。
後進国は何処もそうだが、3~4年生とはいえ、痩せて小さいが子供の目がキラキラしている。
日本の歌を教えて、ギャグって大笑いさせた。
机と言っても日曜大工の手作りふう。奥行き25センチ。
「How much did buil this shool?」
「350ダラー」
「350ドルって、3万5千円?」
みんな、そんな程度で学校が出来ちゃうのって顔してる。
察しの良い俺が、50ドルづつ寄付しよう。ケチな俺としても言い出しっぺだから、100ドルの大枚を提供した。
青年教師にブロックに、「Tenpos」って書いてくれよと、何回も会社の説明をした。
50ドルづつとはいえ、みんなもいい気持ちになって、そこを去った。
歩いて貧乏な村の家を覗いては「凄いとこ住んでるね」
薄暗い板塀の食べ物屋があったが、軒先につるさがっいるハエだらけの山羊のスネを見たので、誰一人食い物を注文する者はない。
コーラを飲んだ。
小一時間もそこに居ただろうか、村はずれが騒がしい。
先程の青年教師が申し訳なさそうな、ややオドオドして下を向いている。
長老と、校長もいる。
英語の達者な萬さんが訳を聞くと、青年教師が学校を建てるのに、350ドルと言って皆さんから、450ドルの寄付をいただいたが、実のところ3500ドルでないと建たない。
一桁間違えて伝えた。
何年かして見にくると言ってたが、その時に建ってないと申し訳ないので謝りにきたとの事。
長老と校長は深妙に話していた。
萬さんが、そんな事は気にしないで、机でも作ってくださいと、丁寧に説明した。
机にTenposって書いてくれよと萬さんに言ったが、却下された。