イルカ漁を批判したケネディ大使。我々も同罪ではないか。

2010年イルカ漁糾弾米映画「コーブ」が放映された。
ドキュメンタリーの体裁を装ってはいるが、作りものである。
白人社会の常識を、後進国黄色人種に押し付けている、よくもこういう風に編集してイルカ漁が残虐であると訴えている。
その高圧的な視点は、東京裁判の弁明させない、お前達は犯罪人だ、という押し付け。と同じで、
みていて吐き気がする。(編集の仕方に)
食習慣の違いを、先進国ヅラして押し付けるのは、キリスト教の布教も全く同じ。
善良な道徳、文化だと押し付けて、現地の文化を認めようとしないで、それがお前達の幸せ
につながると、単純な思想である。
今年の1月14日我らの味方と思っていたケネディ大使が、イルカ漁が残虐であると訴えている。
一気にケネディ大使の人気はなくなった。
アメリカ大使館には日本国民から大量のクレームが殺到した。
ケネディ大使は、反論して再度、イルカ漁は許せないと、声明を発表した。
良好な関係を築かなくてはいけない立場の大使が、なぜこうもしつこく反対声明を発表するのか。

1月にFBに、中国で、漢方薬として高価な熊の胆汁を取る様子の、写真が流れてきた。
200キロは超えるような大きな熊が口も脚も動けないようにされて、横たわっている。
生きている熊の胆汁を取るために、腹に穴を開けてくるしさで叫び声をあげている様子は見るに耐えない酷いものである。
テンポス社内の中国人さえも、この写真をみて酷いデスねと言っている。
俺も酷いもんだな~と思った。

もしかすると、ケネディ大使は、俺達がうめいているクマをみて酷いもんだと感じた事と同じ様にイルカ漁が残虐だとかんじているのではないか。
我々日本人はイルカ漁は食べる食習慣である。文化の違うひとから文句を言われる筋合いはないと言い切るなら
、呻いて苦しがっている生きている熊の胆汁を抜き取るのも、文化の違いだと、言い切れるだろうか。
熊の苦しみを感じても、可哀想に、やめなさいよと言えないものなのか。
酷いじゃないかと言えないのか。
ケネディ大使を許す気にはならないが。