激流コースを選択した友よ、選択を間違えたと嘆いていないかい。

俺が作った会社「KyoDo」給食センター向けの大型洗浄機のメーカー
15年前にテンポスに移籍しない人達、11人に譲った。
エラく儲かっている訳ではないが、人の入れ替わりもなく、安定して経営している。
サラリーマンだけで、MBO(従業員が会社を買って経営すること)して、15年も続けていることは、
驚きである。
俺が経営していた時は、「這えば立て、立てば歩めの親心」方針で、今日より明日を目指してやっていた。
何時も駆り立てられて、休む時がなかったような気がする。
仙台に営業所を作り、大阪に、福岡に出店した。
洗浄機だけでなく、生ごみ処理機、フライヤーを作り、新製品開発には相当注力した

譲ってからというものは、彼らの会社は、発展もしない、新製品開発も、ろくにない。
にもかかわらず、経営は安定している。
社員には、明日は見えないが、そうかと言って、今日まで暗いものではなかった。
彼らをみていると「明日が見える」ってことがそんなに大事な事なのか。考えさせられる。
むしろ余裕があるように見える。

KyoDoから移籍してきてテンポスで、俺と一緒にやってきた吉川や阿部は、今の「KyoDo」の社員より幸せなのだろうか。
吉川にも阿部にも、激流コースは自分の意思で選択しているとの、了解はあるはずであるが、
それにしても、二人の余裕のなさと、疲れた様子は、激流コースを選択させたことが間違いではなかったか。
もっとゆっくり取り組めといって、余裕を持たせてやった方がいいのではないか。
挑戦者し続けることに迷いはないのだろうか。
本人と話しても、自分の本心を知らないだろう。ましてや他人の俺に、彼らの本当の気持ちを知る由も無い。

「KyoDo」の社員と話をしてみれば、将来の不安については、意識的に触れないようにしているようだ。
その日暮らしを15年もやっていると、明日のことを考える事をやめても、何とかなるんじゃないかと、思えるようになってきている。
それが余裕があるように見えているのではないか。

俺と一緒にやる事を選択してくれた吉川、阿部には、エリアマネージやャーをやってもらったり、役員をやってもらったが、仕事が合わなかったと見えて、はかばかしい成績を残しきれていない。
未だに彼らも、可能性を信じて挑戦している。
しかし今の役職は本人にとって、満足のいくものではないはずだ。
飛び越える事の出来ないバーを跳ぼうと、夜中迄も一人で練習しているアスリートのようだ。
もうやめろと言ってやりたいが、
「止めろ」は、挑戦者の才能を見限ったことになる。
とても止めろとは言えない。
このままアスリートとしての人生だったら、虚しくはないだろうか。

チャンピオンを目指してジムに通って既に40才。
本人も、偶にはこのまま一生を終わる予感もする。
仕事は肉体労働。生活はボクシングのトレーニングに合わせて、結婚もしていない。
盆に田舎に帰れば、親兄弟から、冷たく「好い加減に諦めたら!」と言われる。
それでも諦めきれず、ジムに通っている40才。
売れない絵描き、売れないミュージシャン、幕下のまま引退した相撲取り。
そんな例を出すと、吉川にも阿部にも、土方をやってジムに通って40になった男と同じかよと、お叱りを受けてしまいそうだが、

3年間日曜も休まず練習したが、レギュラーになれず、応援席でメガホンをふってる、PL学園の野球選手、150人も部員がいれば自分の位置は、はっきり分かるから、甲子園に出ることの諦めもついても、野球が好きで3年間も続けて来た。
補欠で、甲子園に行ったが試合には出して貰えなかった部員。これはこれで諦めはついてるんだろうなあ。

一方で、安定生活をしているサラリーマン。こいつ等にはよほどの価値があるのだろうか。
挑戦しない、挫折もない。楽な事だけをして、たまにゴルフ、たまに家族でBBQ、見た目には余裕がありそうだ。無理がないから。
挑戦しないものは、失敗もない。
安定はある。

裕福ではあるがアスリートと迄は言えない中小企業のオーナー。
彼らのリスクの少ない仕事ぶりと、そこからくる余裕。
ビジネスを成功させるより、マンション投資、貸しビル投資をして、安定収入を得ようとする。
まるで、ビューティフルライフはこれだ。と言うように見える。
サラリーマンに比べれば、よっぽど金は自由になる。
途方に暮れる事は凡そない。
せいぜい、軟弱な子供の行く末を案じる程度。
とは言うものの、それでも、サラリーマンよりは、余程リスクはあるし、緊張もある。
だが挑戦者では、断じてない。

挫折したミュージシャンは寂しいのか。二軍にしかいなかったプロ野球の選手は、失敗者か!
そんなはずはない!
オリンピックに出られなかった選手には不満しか残らないのか。
そんな事はない!
初恋の人を思い続けて、添い遂げられなたった人生は失敗か?そんなはずはない。

「挑戦」する人と「安定生活」をする人を同列に論ずるところに無理がある。
東大受験クラスの教師は「夏休み残り10日、24時間寝ないで勉強しろ」と言う。
24時間寝ないでと「非人間」的なことを言う。
「挑戦」する人に向かって、夏休みを楽しみましたか、そんな綺麗事を言って、目的達成などは、できる訳がない。

ブラック企業大賞のワタミにしても、挑戦している人の中には、自分の健康管理が上手くいかなくて、過労でリタイヤする人や、うつ病と診断された人もいる。
安定生活をしている人は、ワタミをブラック企業として投票する。
ワタミそのものがアスリート企業。
当然社員にも「アスリートたれ」と要求する。やれる範囲でやってくれよ、などとは決して言わない。

テンポスで働こうとするなら、全員が甲子園を目指す集団でなくてはならぬ。
甲子園に行けない野球部員であっても、野球が好きで夫々に生き甲斐を見つけている。
仕事を通じてアスリートたれ!
野球と違って仕事では、自分の能力を発揮する場は多様である。
甲子園は、夫々の心にある。

青  春

サミエル・ウルマン

青春とは人生のある期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心,こう言う様相を青春と言うのだ。年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる。歳月は皮膚のしわを増すが情熱を失う時に精神はしぼむ。苦悶や、狐疑、不安、恐怖、失望、こう言うものこそ恰も長年月の如く人を老いさせ、精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう。年は七十であろうと十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。曰く「驚異えの愛慕心」空にひらめく星晨、その輝きにも似たる事物や思想の対する欽迎、事に處する剛毅な挑戦、小児の如く求めて止まぬ探求心、人生への歓喜と興味。
人は信念と共に若く
人は自信と共に若く
希望ある限り若く
疑惑と共に老ゆる
恐怖と共に老ゆる
失望と共に老い朽ちる
大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、偉力と霊感を受ける限り人の若さは失われない。これらの霊感が絶え、悲歎の白雪が人の心の奥までも蔽いつくし、皮肉の厚氷がこれを固くとざすに至ればこの時にこそ人は全くに老いて神の憐れみを乞う他はなくなる。