働かない人は食べていけない社会。これが前提である。
故に、「努力をすれば報われる社会」を目指したくなる。「真面目な人が馬鹿を見ない社会」も同じ。
大統領は、落ちこぼれが多ければ、落ちこぼれから票を貰える政策を発表せざるを得ない。
目指すだけだから好きなことが言える。
我々は交通ルールを学んだ上に、ルール違反の暴走車が突っ込んで来た時どうするかを勉強する。
自分の身を自分で護ることを学ぶ。
為政者は、信号を作ったり立体化したり、ルール徹底化の法律で罰を加えたりする。
事故の少ない道路行政を目指す。
受身で流される国民の多い日本では、自分の身を護る事をおろそかにしておいて、行政に文句を
いう事に終始してしまいがちだ。
「努力をすれば報われる」とするなら、努力をした人は誰でも入学出来る「東大」にしようということか!
我々が勘違いしてしまうのは、為政者が「努力をすれば報われる社会」などと言うもんだから
「努力をしても、報われない社会」を問題の有る社会だとかんがえてしまい、報われていないのは政治が悪いからだとなってしまう。
労働組合的思考、左翼的思考である。
人のせいにして文句を言ってる間に、努力をしたらどうた。
大統領の「働かない人は食べていけない社会」と言う前提から「我々個人は」、「競争社会」と言う前提にたつ必要がある。
資本主義だからと言うより、動物社会においても、生存競争の中で生き抜いてきている。
「競争社会」の前提を外すわけにいかない。
「一生懸命に働く」働き方に 4通りある。
「競争社会」において、真面目で一生懸命は、最低ランクの働き方で有る。目標が無いから、
黙々とやり続ける事になる。
江戸時代以前の競争の激しくない時期が長かったため、黙々とやり続けていれば何とかなった。
これが習い相になり黙々とやり続ける事が「美徳」として教育される。現代が「競争社会」であるのにもかかわらず。
「競争社会」において、「顧客」に認められるか、そのやり方は効率的か。ここに向かって努力をしているか。これが報われるか報われないかの分かれ道で、
報われない努力は、報われようという「目標」もなく黙々とやり続けても、報われる訳もない。
報われようという努力だと勘違い。
新宿のラーメン屋のオーナー。前向きでイロイロやってみているが、イマイチ儲からない。
最近 英会話のCDを卒業して、学校に通い始めた。
時々外人が来るので英語で話せる店が無いから、勉強をしているとのこと。客には英語のわからない中国人が2割もいるというのに。
目標に最短距離の努力をしないで、興味本位の努力をしているということに気がつかない。
黙々人間よりもよっぽど良いが、成果に結びつかない場合が多い。
競争社会に於ける「努力」とは、目標達成迄、工夫し続けることで、それをして初めて「努力を」していると言える。
「目標と工夫し続ける」がセットになって初めて「努力」と言って良い。
この定義をしてみると、「努力」をしている人は少ない。
工夫と目標のどちらかがなくても、「努力」とは言わないよって報われない。
結論
我々の普段の働きは「努力」では無かった。よって報われることはない。
オバマ大統領が「どりょく」を目標達成のため工夫し続けること。と定義すれば、
「努力をすれば報われる社会」を目指すのは正解と言える。
この上に「挑戦」レベルがある。
以後我々「個人」においては、報われる「努力」をしよう。と考え直そう。
以後我々は、報われない努力は、目標が明確でなかったか、工夫が良くなかったか、やり続けていたかったかを探り、人のせいにしないで、「天は自ら助くるものを助く」を理解できるようになる。