村の衆

実家は、母が死んで、この2月から誰もいなくなってしまった。
段々畑が、1町歩近く有り、殆どはお茶をうえてある。
去年までは、93歳になる親父が生きていた事で、百姓をしに戻るのも張があって、夏場は、月2~3回は、草刈りやら、剪定やらで帰省していたのだが、親父もお袋もいなくなった今は、畑仕事をして戻って来ても、お袋の作った飯があるわけでなし、風呂が湧いてるわけでなし、分かっちゃあいるものの、何か抜けてしまったような気がする。
村の役は全て勘弁してもらった上に、お墓の草取りなんかは、隣組の衆が、気にかけてくれていて、時々やってくれている。
お礼を兼ねて、この夏作った、イタリア製のサウナと、未だに、水漏れが止まり切ってはいない檜の風呂を、使っていただこうと、村の衆を招待する事にした。
躰の調子が悪い人が多くて、長老は参加しなく、若い衆だけで、ガーデンパーティをする事にした。
若い衆と言っても、65歳の俺の前後の人6人が、きてくれた。
招待だから、身一つで来てくれれば良いと伝えてあったが、各自、茄子やらピーマンやらを持ち寄って、椎茸なんかは、姿は悪いが、肉厚で、アルミにくるんで焼くと、醤油と椎茸の露が絡まって、ジューンと旨さが口に広がる。
コレは沢口の芋、コレはジャガタ ジャガイモにつける味噌は、椎茸に、もう一つキノコが入り、柚子の効いた甘味噌で、懐かしくて炭水化物は、制限しているのだが、6個も喰ってしまった。
二日に一回は山に登ってる俊次は、松茸は、どこそこにあるが、ひと秋で、20本以上とったとか、ほうき茸のうまさったらないよ!とか、山の話に無理が無く、自慢するで無く、63歳なのに枯れていて、どっか仙人の風情である。
慎吾は、里芋剥き機を12万で買って、道の駅に出したり、農協の店に出したりで、慎吾は事業家だもんね~と、冷やかされていた。
元なんかとってないよーとさかんに否定していたが、満更でもない様で、最近山の奥に、ログハウスを作ったから、次回は、そこでやろうよという事になった。
どの人も、生活の流れが、自然体で、方の力が抜けていて、俺の忙しい生活の対局にあって、
東京の、ビジネスライフは、「競争社会の中で、自分も会社も、変化させる」のが、必然であるが、
田舎ライフは、大きな流れに、ユックリ翻弄されて、この50年で、11000人が2700人になってしまったが、毎日の生活は、「変化しない」前提で、愉しんでいる。
月に、二回、村に帰って、「変化しない」生活を味わえるのも、オツなものである。