はめられて、会社を首になっちまった

33年前、はめられた、弁解しようがなく、解雇された。
人生のターニングポイント
大学も、順調に卒業の、6年間 、留年組ではあったが。
寒村で、大卒の仕事は、教員しか無いし、長男でもあったから、水窪に戻るという親の期待をしょって、教育学部に行かせてもらった。
卒業の年 教員試験も受かった。
3ヶ月後、面接の日。
寮の朝は、寝床にいても、7時から8時頃は、朝飯と登校の学生で、ひとしきりは、相当騒がしい。
ああ 今日は面接の日 10時からだ。出発の9時まで2時間もある。
一眠りして出かけようとしたが、目覚めると、既に11時を回っていた。
怠惰な日常生活は、約束を破る、時間を守らない、
、予定はその場の雰囲気で変えてしまう。
緊張のない日常が、大事な面接をも、寝過ごさせてしまった。
2年も留年しているので、来年教員試験というわけにはいかない。
テックに入社して、セールスマンになった。
30年も経ってから、親父は随分力を落としたことがわかった。
自分の性分で、教員になっていたら、生徒と親には人気があっても、校長、教頭の悪口を言って憂さ晴らし、飲むと、グズグズと、果ては、日教組と文部省の悪口、森下は、酒癖が悪くて、くどい。そんな人生。親にはガッカリさせたが、良かったよ、教員にならずに。
ターニングポイント 2
テックライフは、最初の3年間を除いて、順調な取り組みであった。
抜擢されて、入社4年で、流通営業本部の課長となった。
上司の役員は、現場がわからないので、任せっぱなし、27才の若年ながら、社長の覚えも良く、思う存分動く事が出来た。
仕入先の、新興機械(株)が、テックの支払い予定日に、入金しないので困ったと相談があった。
個人で処理する話ではないが、1週間で返すのでというから、300万貸してやった。
予定の8月7日になったが、返済してくれない。
ズルズルと、8月31日になって、困り果てて、支店長に相談した。
借用書もなし、金利の約束もなし、支店長は、呆れ果てて、金利を乗せて、手形をもらいなさいと言う。
新興機械株は、さらに、1000万貸してくれれば、年利30%くれると言う。
株式投資をしていて、金利には敏感で、30%とは上手い話だ。即1300万の手形を受け取った。
以後、期日が来る度に、金利を上乗せして書き換えをした。
書き換えをしない時は、振り込まれた金を、10日位銀行に寝かせて置いて、要求分を振り込んでやった。
給料以外に、こんなに手持ちが増えて、嬉しくなっていた。
税金対策で、架空名の口座で、手形を落とし、こっちから振り込む時は、通りがかりの銀行から振り込んでいた。
1年で、本社を離れて、支店の課長となった。
全国に指令を出してくれる役目ではなくなって、半年、未だに理由は、わからぬが、新興機械の社長が、
私に払った手形の台帳を、本社に提出して、会社で販売した機械の、バックマージンだという。
貸し付けた元金は、1300万ではあったが、返済貸し付けを繰り返したのだから、新興機械の振り出した手形の合計は、4000弱あり、それが、バックマージンだと言うのだから、会社中大騒ぎになり、ハッキリするまで、出勤停止になってしまった。
貸し付けたんだったら、振込の事実を証明しろ!はたしかに、その通り!
税金対策で、振込先を
固定しないようその辺の、銀行から振り込んでいたもので、何回分かは、おもいだせない。
会社では、その分が バックマージンだという。
弁護士に相談すると、会社の顧問だから、あんたの弁護はできないと言う。
会社としては、返済なら、ワザワザ、お前が困るような事を、する訳がないじゃないかという。
レストランショウに、来ていた新興機械の社長に詰問した。
「一体どんな理由があって、あんたに、何の得があって、俺を陥れるんだ!」
今だったら、何でもなく元の鞘に収められる程度の事も、毎日、頭んなかは、グルグル周りで、正常な判断もできない。
役員に問い詰められると、未だ歳のはもいかない、31才、反論もできず、モゴモゴ。
今迄、自分の損得度外視で、家族の遊びもなく、会社会社でやってきたその取り組み対する、自分に対する見方、冷たさに、嫌気がしてしまった。
解雇の決定に、反論する気もなく、辞めてしまった。
実のところ、上場会社を、解雇されてしまったが、テンポス上場後、テックOB会の総会で記念講演をしろと言ってきた。
てめぇら寄ってたかって、人を首して置いて、と思ったが、「恩讐の彼方に」の例もあるし、と考え直し、講演を済ませた。

トップセールスマンではあったが、慎重で、気が小さく、とても、独立して一人でやるような、ベンチャー精神なぞ微塵もなく、解雇されてからと言うものは、毎日、ぴあを見て、映画館まわり、遂には、宇都宮の映画館迄行ったが、明日への心配で、心は、うつうつとして過ごした。
ベンチャースピリットの塊だった当時の社長が退任すると、真面目、実直の社長では、自社商品中心の、守りの経営にはしらざるをえない。
テックは、商社機能を縮小して、メーカー指向になった。
独立精神は全くないものの、テックの改革派の中心であった。
そのまま残っていたら、改革意欲を、発揮する場所がなく、悶々と40年過ごす事になっていたかもしれない。
ターニングポイント 3
何とか就職しようともがいた挙句、社員7名の、零細メーカーに、潜り込む事が出来た。
就職出来て、ホッとしたのが実感。
採用してくれた恩返しと、フル活動して、過去最高利益を出し、社員も、18名増やし、全国に販売した安住の地にしようと、その会社のそばに、マンションを購入し、安定収入の為に、もう一軒マンションを買って、そこに、骨をうずめるつもりであったが、10ヶ月で、辞めざるを得なくなってしまった。
猜疑心が強くて、こちらは、全くの無防備。疑われているなんて露知らず、俺のやる事の、裏ばかり考えていた。
社長は、自分の妄想から、10ヶ月目に、辞めてくれと言ってきた。
ある朝、灰皿持って飛びかかってきた。奥さんは、そんな動きになりそうなことを知っていて、
社長が、飛びかかろうとした直後、羽交い締めして、「森下さん!逃げてっ!」
2年前にも長い間いた、NO2を首にする時も、全く同じ様な、訳のわからない辞め方をさせたらしい。
売上 利益 回収では、相当感謝されてると思っていたのに、ショックであった。

一緒にその会社をお払い箱になった2人と、3人で会社を作ることにした。

考えてみると、どん底になってしまう様な状況になったのが、全て、自分の意思ではなかったが、
人生脚本は、谷底に落ちて頑張る、と言う人生で、安定してくると、何時の間にか、谷底へ落ちてしまう。
底の浅い谷底に落ちるのは、しょっ中で、胃潰瘍になったりしながらも、生き生きとしている。
自分の能力は、戦時に発揮できるタイプだから、常に戦闘状態を作ることを覚えた。
マゾっつうのかな!
今寝る間がないくらい、草取りも、運動中にやらないと時間がない。
新聞受けから、リビングに戻る間に読むしかない。
余裕があって、時間が出来てくると、鬱になってくる。布団に潜って夕方まで、意欲全くなし状態。