日本人に失われてしまった「矜持」を
岸恵子さんの「母」にみる。
2020月5月4日 日経 私の履歴書
終戦直後の食糧難は、凄まじいもので、餓死者が何人もいた。
親戚に農家がない私の家では、母の訪問着が僅かな米やジャガイモに替えられていた。
列車で買い出しに行ったが、買えなくて母としょんぼり歩いていると、米兵のジープが傍に止まり、チョコレートの包みを私にくれようとした。
母の硬い視線に躊躇している私を見て、米兵は缶詰の入った紙袋を道端に投げて、笑いながら「バーイ」と走り去った。
夢中で駆け寄った私の頬に、母の平手が飛んだ。
「だって、、、、、」
「いけません!」
私は米兵が投げた紙袋を見ず、前だけを見つめて大股の早足で歩いた。
意味のわからない涙が頬を濡らした。
混乱に乗じて巧みに財を成したものもいれば、父のように清廉を貫いた人もいる。
そんな父を清々しいと誇りに思ったり、頼りないと思ったりした。
コロナ騒ぎの中で、援助が遅いだ 助成金の手続きが面倒だ。早く銭をくれ!
当事者にしてみれば、綺麗事を言ってられない事はわかる。
時代が違うと言って片付けてしまうのも侘しい。
餓死者が一人もいない現在。