株式会社メティウスフーズ 代表取締役 松澤 俊
1996年 創成期
メティウスフーズの前身は「ラ・アトレ」という不動産会社の飲食店部門でした。「ラ・アトレ」の故岡本英社長は、ジャスダックに上場させた優秀な経営者であり、1996年に開業した1号店「ピッツェリア・ドォーロ新橋店」は、当時、日本にわずか3軒しかなかった『ピッツア専門店』でした。ルクセンブルクでイタリア料理を学び、日本に戻ってきた松澤氏は、都内にあるイタリア料理店を渡り歩いた末、岡本社長と出会い、2店舗目の料理長として入社することになります。
やがて、「ラ・アトレ」は飲食部門を切り離して「メティウスフーズ」を設立、当時から運営はすべて松澤氏に任されていました。
2001年 社長就任
まだ、2、3店舗だった「メティウスフーズ」は岡本社長を含めても社員が10人前後、アルバイトも10数名の小さな会社でしたが、本格的なパスタやティラミスなどを連日マスコミが取り上げたこともあり、お客様に喜んでいただくことを目標に毎日遅くまで仕事に励んでいました。そんななか、公私ともに深く関わっていた岡本社長が、帰らぬ人となります「メティウスフーズを上場させてくれ」という言葉を残して。その意志を受け継いで松澤氏が社長に就任します。
2006年 エノテカブランド誕生
それまで、店舗ごとに違っていた特徴を、松澤社長は少しずつまとめ、さらに社員からのアイデアをくみ取って、ブランドごとの特徴に合わせて出店していくという形で動き出しました。ピッツアに特化した「ピッツェリア・ドォーロ」に「エノテカ・ドォーロ」というワインを中心としたレストランバーを加え、ブランドを複数もたせることで、お店ごとというよりは、ブランドごとにメティウスフーズを拡大させていきます。
「そうですね、一号店がピッツア専門店でしたから、当時は窯でピッツアを焼いてお出しするっていうだけで行列でした。ただ、それだけでは段々難しくなってきたので、「エノテカ(イタリア語で酒屋さんという意味)」というイタリアワイン専門のレストラン業態を作ったんですよ。この業態も取材が多かったですね。当時はワインバーもほとんど無かったぐらいでしたから、これは当たりました。」
2011年 ローマピッツァブランド誕生
飲食で儲けようと思ったら店舗を増やすしかありません。多くの店主は、近くでいい物件が出たら2号店、3号店を出すことになるのでしょうが、松澤社長は「ピッツェリア・ドォーロ・ローマ」のように商業施設、さらには百貨店への出店を加速させていきます。
「料理人にとって、デベロッパーさんから声がかかったら絶対うれしいと思います。お客さんが喜んで来てくれるのもうれしいですが、ディベロッパーさんが噂を聞きつけてやってきてくれる。言ってみれば、路上で自分の曲を弾いていた人がある日突然、レコード会社のプロデューサーからうちのスタジオに来ないかって誘われたようなもんですよ。それは認められたということですから。」
2019年 第2創成期
しかし、今の時代は松澤社長がコックとして住み込みで働いていた時代とは違います。これからは新しい人との橋渡しができる年齢層の取締役と一緒に新しいことに着手していく段階です。
「自分の料理、レストランってこだわっていたら、ここまでやってきてないと思う。スタッフの給料を上げてあげたいとか、長時間労働の環境を変えてあげたい、幼稚園迎えに行く環境を作ってあげたいとか。そういう意識がすごく強かったので、そうなると当然、多店舗展開していかないと給与上げられないってなりますよね。」
「コロナになって1年経ちますが、このままいったらどうなっちゃうんだろうって。反対に、今まで楽しんできた飲食文化の火を消さない、絶対消させないっていう半ば、怒りを持ち続けていきたいと思います。まだまだ苦難の道が続くと思いますが私共では5年先の計画まで作っています。絶対このままでは終わらせない。飲食は終わらないというメッセージを微力ですが、我々は伝え続けたい、そんな気持ちでいっぱいです。」
そこには、何か秘策みたいなものはあるのでしょうか?
「そうですね。創業から25年イタリアン業態を本気で営んできた私たちができること。顔の見える生産者さんがつくる素材、ピッツァで培った技術やノウハウをパンに変え、住宅街の方に喜ばれるベーカリーショップの出店とかも構想しています。 オープンの際には、ぜひ取材をお願いします。」
【取材協力】 氏名:代表取締役 松澤 俊 取締役営業本部長 鏑木 英永
店名:「ピッツェリア ドォーロ 新橋店(株式会社メティウスフーズ)」
住所:東京都港区新橋5丁目18−1
電話:03-3432-8222
URL:http://www.metius-foods.com/
谷口光児(テンポス広報部)