人間として生きるとは

人間に生まれついたからには、人間で生きなければならない
2019-06-06 16:48:20
テーマ:自分を磨く
二宮金次郎は、
水に浸かって回転している水車を見て、水は高い所から低いところに流れるものであるが、水車が上から下に向かって回転するのは、自然の理に適っている。
回転する事により、下から上に上がっていくのは、自然の摂理に反している。
獣は寒ければ、毛が生える。
人は、服を着たり、火を焚いて暖をとる。
畑の作物もそのままにしておくと草だらけになり、植えたものは全滅してしまう。
それが自然の摂理であるが、人は摂理に逆らって、雑草をこいだり、生えない様に耕す。
人間の存在は、自然の摂理に反して生きていく存在である。
人間として生きるということは、自然の摂理に反して生きるということだから、何をしても疲れてしまう。
子供を育て、可愛がるのは、親子の愛情などは動物も同じ。
生まれた子供を、人間にするには、教育をしなければならない。
子供は「伸び伸び、スクスク育てば良い」などというのは、動物であって、人間ではない。
人間にするには、ルールを教え、協力する事を教え、目標に向かって努力する事を教えなくてはならない。
楽をしたいなどと考えるのは、人間をやめることだ。
人は常に一生懸命に働くもので、いざという時のために貯めておけるのは、人間だけである。
貯金もない人は、犬畜生と同じでその日暮らしの動物てある。
こんな手合いは、人権など必要ない。

人間が浅はかで無力だと「宿命」になる。人間が磨かれてくると「運命になる」
つまり、動物はあらゆる出来事に流されて、その場をしのいでいる。
切り開く事が出来るのは「人間」だけである。

自分の生き方、取り組み次第で、宿命と諦める事が多くなるか、運命を切り開いていけるか、その比率は人それぞれである。
人間の比率が高いと運命を切り開くが、動物の比率が高いと宿命とあきらめる。

目の前にある困難も、宿命として素直に受け入れなくてはいけない事と、
解決することのできる運命に分かれる。

不具者として生まれた人は、その不具を宿命として受け入れないと、
「不幸」だと思い込んで、不満を言い、愚痴を言う人生をおくる羽目になってしまう。
解決出来ない困難は「宿命」として、そのまま受け入れる。
不満や愚痴を言ってはいけない
良いも悪いもない、素直に受け入れる。
愚かものは、素直に受け入れなくてはいけない「宿命」に不満を言い。
切り開く事が出来る運命を、宿命として諦めてしまう。