ワタミの社長に教えられたこと

挨拶も出来なくなった昨今
今を去ること25年
ワタミにエンジンがかかり始めて、出店攻勢が続き、「ワタミ、ワタミ」と言われるようになった頃、
同友会にいた俺は、八百八町の親分石井さんのつてで、渡邉美樹に、例会の講演を頼もうと、
蒲田のワタミ本社を訪ねることにした。
太田支部の仲間4人で、有名人「渡邉美樹」に会いに行った。
社長室に案内されるや、われわれが、部屋に入るか入らないうちに、社長の席から立ち上がり、
ニコニコしながら、そばに来て「待ってました!」と言って一人一人の手を握った、その清々しさ!
俺も客が帰る時は、会社の出口まで見送って、頭を下げてはいたが、来社した時立ち上がってそばまで行ってニコニコして「待ってました!」とやられた時は、参りましたと思った。

若い頃KyoDoと云う超高圧の洗浄機メーカーを作り、売るために全国を飛び回っていた。
パン箱とか、魚を入れるトロ箱、スーパーで豆腐を運んでくる水色の容器、そんな物を洗う機械。
牛肉だつたか、豚肉だつたかうろ覚えだが、屠殺して解体する工場に売り込みに行った。
商談が終わって、二階の事務所から、外階段を降りてくる時、良く洗濯されてはいるが、血の染み付いた白い服を着ていた若者とすれ違った。
じゅうぶん2人がすれ違える広さの階段であった。
若者は、降りてくる俺を階段の途中で立ち止って待っていて、「いらっしゃいませ」
と言った。
豚を切りまくって血だらけの服を着た若者が「いらっしゃいませ」だけでも、大したもんだと言うのに、俺が降りてくるのを立ち止まっていた。
その会社の社長の考え方が、チャンと浸透しているなぁと感心したが、それよりも目の前の若者に感激した。
以来、その話を会社でして、挨拶を教えてきた。
会社の横のタワーパークに車を入れるために待っている時に、舗道を歩く従業員が、俺と目が会う時がある。
血だらけ若者に教えられた、立ち止まって挨拶が出来るようになっている社員の数人が出来るようになった。17年かかっている。

大阪に内装屋をやってる甲斐さんがいる。
商売がつまづいて、自分の串揚げ屋を手放すことになった。
その店を売りたいので、大阪にまで見に来てくれと言われて行ってきた。
後始末を社員にやらせることにしたものの、その件は忘れていた。
一ヶ月程して東京の仕事があると見えて、テンポスの本社で部長と面談をしていた。
たまたま本社にいた俺を見つけるや、さっと寄ってきて「先日は、ワザワザ大阪までご足労かけまして、ありがとうございました。」
何はともあれ見つけたその場で、間髪を入れずお礼を言いに来た。
真面目な甲斐さんの人柄を見せてもらった。