パキスタンの靴磨き
パキスタンに旅していた時のこと。
痩せた10歳くらいの少年が靴を磨かせてくれと、うるさくまつわりついてきた。
なんとかふりはらったが、飯田さんは、汚れてもいない靴を磨かせた。
100円だと言う。
根が優しい飯田さんは200円渡した。
案内してくれていたジャミールは、それまでの静かなものの言い方でなく、そうかと言って大声でもなく、凛として、「日本人には100円も200円も同じでしょう。彼らは日当100円くらいなもんです。靴磨きは20円くらいなもんです。100円でも高い。しかし、余分に100円もあげないで下さい。
乞食ではありません。
余分に100円あげると、コジキになってしまう。」
横で聞いていた俺まで恥ずかしくなった。
ガイドのパキスタン人の誇りを観たような気がした。
韓国人の実業家 柳さんが、ショッピングセンターを企画。テナントと説明会で出店者に話した。
柳(りゅう)さんは、皆さんと呼びかける時、「先生」と言う。
「柳さん、随分へりくだった言い方しますね。」
「先生と言っとけば上手くいくよ。」
士業に携わっている人。医者、代議士。コンサルタント。先生と言われて、そのうちに仲間内でも「先生」と呼び合う。
先生と言われたらお終い。謙虚に愚直に取り組めなくなって、いつしか尊大になってしまう。
その逆
障害者を差別する人がいる一方で、障害者その人よりも、その周りの人が、権利を教え込み、行政に国に要求するようになってしまう。
人の世話にはならぬという気概を捨てさせてしまって、乞食根性を植え付けてしまっている。
生活保護、請求してくれるものなら貰おう。人の世話にはならぬという気概がなかったら、乞食そのものだ。
福島の県民に甘ったれるなといえるか。
沖縄の県民に甘ったれるなといえるか。
育てる、優しくそだてる。
嫌がることをやらせられるか。
誇りを捨てたら、抜け殻だ!