人のせいにしない。他人を責めない。状況に耐える。その中で未来の自分の人生を創る。
現代の大人になったはずの40才が、会社が面白くない、上司が良くない、回りに馴染めない、果ては、自分の精神まで痛めてしまい、鬱になる。
一昔前の子供でさえ、耐えて耐えて、挫けずにひどい状況の中で生き抜いてきたというのに。
今の大人は耐える事ができない。
主張もしないで、我慢してればよい、と言ってるのではない。
他人のせいにしないということは、我慢する事と背中合わせだ。
他人のせいにしなければ、自分の人生を生き抜くのは自分しかない。というところに行き着く。
この根本を忘れて、自分のために、家族のために、中小企業の労働者のために、こうしてくれ!ああしてくれ自分たち弱者が、どれだけ耐えているのか知っているのか!
こうしてくれ!ああしてくれ!
会社はこうすべきだ。国はこうすべきだ。
他人の助けを期待して、自分で切り開こうとしないで、待っているばかりでこうしてくれ、ああしてくれ。
状況に耐えて耐えて、辛い事を乗り越えて、その上でしか自分の人生を作れないぞ!
一人っ子が使い物にならないのは、四六時中親の目が行き届き、危ない事はさせない。怪我をしたり痛い目にあって泣けば大騒ぎですっ飛んで行き「赤チン」を塗ってやる。「赤チンとは、」赤い消毒液のこと。誤解しないよう頼む。
一人でこらえる経験がない。
箸を落とせば、大騒ぎで交換する。汚くてばい菌がつくってよ。
電車では子供に座らせて親が立っている。
何処で耐えさせるんだ、大事な教育で、高学歴にするよりも大事だ。
終戦直後の日本
第二次大戦が終わり、私は多くの日本の兵士が帰国して来る復員の事務についていた、
ある暑い日の出来事でした。
私は、毎日毎日訪ねて来る留守家族の人々に、
貴方の息子さんは、ご主人は亡くなった、死んだ、死んだ、死んだと伝える苦しい仕事をしていました。
留守家族の多くの人は、ほとんどやせおとろえ、ボロに等しい服装の人が多かった。
ある時、ふと気がつくと、私の机から頭だけ見えるくらいの少女が、チョコンと立って、
私の顔をマジ、マジと見つめていた。
「あたし、小学校二年生なの。おとうちゃんは、フィリピンに行ったの。
おとうちゃんの名は、○○○○なの。いえには、おじいちゃんと、おばあちゃんがいるけど、
たべものがわるいので、びょうきして、ねているの。
それで、それで、わたしに、この手紙をもって、
おとうちゃんのことをきいておいでというので、あたし、きたの」
顔中に汗をしたたらせて、一息にこれだけいうと、大きく肩で息をした。
私はだまって机の上に差し出した小さい手から葉書を見ると、
復員局からの通知書があった。
住所は、東京都の中野であった。
私は帳簿をめくって、氏名のところを見ると、比島のルソンのバギオで、戦死になっていた。
「あなたのお父さんは—-」
といいかけて、私は少女の顔を見た。
やせた、まっ黒な顔、伸びたオカッパの下に切れ長の眼を、一杯に開いて、
私のくちびるをみつめていた。
私は、少女に答えねばならぬ。答えねばならぬと体の中に走る戦慄を精一杯おさえて、どんな声で答えたかわからない。
「あなたのお父さんは、戦死しておられるのです」
といって、声がつづかなくなった。
瞬間少女は、一杯に開いた眼を更にパッと開き、そして、わっと、べそをかきそうになった。
涙が、眼一ぱいにあふれそうになるのを必死にこらえていた。
それを見ている内に、私の眼が、涙にあふれて、ほほをつたわりはじめた。
私の方が声をあげて泣きたくなった。
しかし、少女は、「あたし、おじいちゃまからいわれて来たの。おとうちゃまが、戦死していたら、
係のおじちゃまに、おとうちゃまの戦死したところと、戦死した、じょうきょう、じょうきょうですね、
それを、かいて、もらっておいで、といわれたの」
私はだまって、うなずいて、紙を出して、書こうとして、うつむいた瞬間、
紙の上にポタ、ポタ、涙が落ちて、書けなくなった。
少女は、不思議そうに、私の顔をみつめていたのに困った。
やっと、書き終わって、封筒に入れ、少女に渡すと、
小さい手で、ポケットに大切にしまいこんで、腕で押さえて、うなだれた。
涙一滴、落とさず、一声も声をあげなかった。
肩に手をやって、何かいおうと思い、顔をのぞき込むと、
下くちびるを血がでるようにかみしめて、カッ眼を開いて肩で息をしていた。
私は、声を呑んで、しばらくして、
「おひとりで、帰れるの」と聞いた。
少女は、私の顔をみつめて、
「あたし、おじいちゃまに、いわれたの、泣いては、いけないって。
おじいちゃまから、おばあちゃまから電車賃をもらって、電車を教えてもらったの。
だから、ゆけるね、となんども、なんども、いわれたの」
と、あらためて、じぶんにいいきかせるように、こっくりと、私にうなずいてみせた。
私は、体中が熱くなってしまった。
帰る途中で、私に話した。
「あたし、いもうとが二人いるのよ。おかあさんも、しんだの。
だから、あたしが、しっかりしなくては、ならないんだって。あたしは、泣いてはいけないんだって」
と、小さい手をひく私の手に、何度も何度も、いう言葉だけが、私の頭の中をぐるぐる廻っていた。