オーム が、名前を変えて 大学で 信者をあつめている

関わりの無いひとは、一体どんな人たちだろうと、思う。
ある宗教団体、どちらの団体かは判らぬが、夜9時頃、ピーナツだか、干物だかを売りに来た。
会社には、10人も居なかった。
カウンターの向こうで、何だか喋っていたが、突如、歌を歌い始めた。
女の子が、やや、みすぼらしい格好して、夜、飛び込み訪問をする。其れだけでも大したもんなのに、歌まで歌わせる。
社員研修 30万払って地獄の特訓をやった。JR 富士宮だったか、富士駅だったか 駅前で、大声で歌を歌った。
恥かしい、己を捨てろ 世間に縛られるな
「声が小さい!」と怒鳴られて、何回もやり直しを命ぜられているうちに、だんだんでかい声が出て、恥も外聞もなくなってくる。
然も一人じゃなく、30年前は、企業研修ばやりで、何人もで陸橋に立って叫んでいるので、安心して、俺なんかは、場慣れするのが早い方だから、何回かで、合格をもらった。
内観法 自分を振り返って 一人で生きて来たつもりでいる自分が、いかに、知らないところで
人様に世話になって来たか。
「お母さん ゴメンなさい」と言う手紙をかけ この研修は、その気になりやすい俺は、
、来し方を振り返って手紙を書いているうちに、こんなことがあった アンナことがあった、思いもつかなかったが、「お母さんゴメンなさい」なんだから、ひたすら、反省して、母を思いやるしか無い。
素直な気持ちになって、手紙の字が、涙で広がって、読みづらくなってしまった。
この 内観法は、今でも、ひとしれず、布団の中で「○ ○さん、ゴメンなさい」を時々やっている。
無法者 篤史が、本当のところ、心が美しいと、言われるのは、内観法のおかげである。
誰も、言っちゃあいないなどと、、ちゃちをいれるな。
実際、ビジネスマンになろうと思ったら、内観法はやっておく必要がある。
テクニックと知識を積み重ねていると、人間力に行き当たる時がくる。その時は、内観法を思い出せ!
柔道の練習を疎かにして、人間力をつけても、やれないのに指導するコンサルタント、生活してないのに、法を説く坊さんみたいなもんで、我々の基盤は、実業界!
知った 覚えたことを、実践して、世の中に生かしたか、此れが実業界!
地獄特訓 10日の研修を終えて、東京駅で頑張ろうを、叫んで研修同期と別れる。
翌日 一人ハイテンション 大声で挨拶をし、此れから、自分はこうやります、今までこうでしたが、山で、変わって来ました。こんな機会をくださった会社に感謝します。などと、綺麗にまとめる。
2日たち、10日経って 元の木阿弥 ほとんど100%が元の木阿弥。良い思い出を有難うであって、自己改革には為らなかった。
人間研修は師匠についていて、一生続け無い限り、我々凡人には、良き思いでになりかねない。

その宗教団体の信者を、夜、飛び込み営業をさせ、歌まで歌わせることを、続けさせるこの統制力、営業マン教育で、いつも壁に当たっている、自分にとって、感嘆してしまった。

大事なことは、宗教の教えにあまりおかしな事があれば、大概の人が入り口で、拒否してしまい、
信者は増えていかない。
オームが名前を変えて、セレブだかなんだかになった事より、その教理には、そんなにおかしな事は無いから、入信するひとは、特殊な人でなく、普通のひとが、つまり、我々の誰でもそうなる可能性を持っていて、それをふせぐのは、本人では無く、周りが目を配ってやらないと、自覚出来ないのだから、根気良く、カウンセリングしなくてはいけない。
小沢派も 傍で見ていると、気の毒な動きをしていて、有益な人物が、消えようとしている。
本人達は、消えようとしている自覚が無い。然も、聞く気も無いから、伝えようも無い。

コンサルタントと、坊さんを馬鹿にしたようなことを言ったが、教えを伝える役だけで、私にやれっつったって出来ませんが、立場上、上から目線になってしまいますが、、其れほど偉い者でも有りません。この姿勢を忘れるな、といいたかっただけである。

我々客商売は、小沢派のような間違いは起こさない。
われわれは、やってることが、客に認められているか、客数は増えているかをチェックし、「信」は客数であると、決めている限り、独りよがりにはなりにくい。
坊さんに謙虚であれ、分をわきまえよと言った様に、我々、客商売は、「大衆迎合」の側面はあり、導くことは出来ない。顔色を伺う卑しい商売である。謙虚に言えば。
客商売の我々が大衆に見放されて、消えて行く時は、リーダーが、客数による「信」のバロメータを外し、客を導こうとし始めると、お終い。
後はテンポスの世話になって消え去る。合掌
個性と独自性、ユニーク、創造が大好きな自分は、客数に「信」をおかなくなる可能性を持っていて、会社に、制御機能を持って居ないと、非常に危険であるが、時期社長に要求される、機能の一つである。