言うことを聞かない、頑固親父!

元々人の言う事は聞かない
人の言うことを聞くって、どう言うこと!
教えられるのが嫌いで、打ちっ放しでゴルフの指導を受けている時、
「ピシッと打てとか、腰で打て」とかいうから、「クラブで打っていいか」とききなおした。
長島みたいな野郎で、表現が抽象的。店長にいつも言ってる、具体的に、ビジュアルにつたえろって。
その指導者に、伝え方の指導をしているうちに、自分でやって下さいと言い残して、どっかへ行ってしまった。
腰が痛くて歩けなくなってしまった。ベッドから這い出すのに5分の余、トイレまで7~8分、しゃがむのに5分、深い息もつげない。
苦闘も1時間で終わる。これを毎日繰り返して、尤も、痛いのは、朝の1時間だけだったせいもあって、ダラダラと2週間も、そんなことをしていた。
その日は、仕事中に激痛が来た。
何とか一人で、這いつくばるようにして、東邦医大の救急の受付に、辿り着いた。
暴れたくなるような痛さだが、次の次だ。我慢しよう。
ピポーッピポーッと救急車がきた。
慌しく、動き始めた、まずい、コッチは痛くて気が狂いそうだっつうのに、腹の具合も悪くなって来てしまった。
トイレは何処だ、一歩歩くのに1分かかる、壁につかまる、膝に手をつく、溜め息はつけない、痛過ぎて。
「ウーウーうーん」力んだ拍子に、身が出てしまった。まだトイレ迄7~8分はかかるだろう。
腹がゴロゴロして、第二弾もいきそうだ。
不覚をとってはいけない、イタタ「うーっ」チビっとだが、対外に出てしまった。こいつは、出たがり、前向きで評価は出来るが、場所をわきまえてくんないとな~。
ヤット着いた。トイレで苦闘しながら、ズボンを下げパンツを洗った。
またでたら、今度はズボンの中なので、濡れたパンツを履いた。痛いからだで履くのには、濡れたパンツは、全くよ~履けやしないじやないか!
ウォッシュレットの水勢を、最強にして、ケツの穴を、指で広げて、中を綺麗にした。
もう安心!
15分かけて、戻ってきた。
ヤット番が来た。
「レントゲンをとりましょう」
「腸が荒れてますねぇ」「分かりますか」「エエ腹がゴロゴロするでしょう」「漏れちゃったのも分かりますか?」「漏れちゃいましたか。」「漏れちゃいました。」
「浣腸はしなくてイイですか、整腸薬を出しておきます」

翌朝、昨日と同じように、激痛でのたうちまわった。整腸薬なんぞ、この痛みと関係無いじゃ無いか、経験不足の小僧医師とは言え、上から目線でわかった様なこと言いやがって、

糀谷にある有名な、松本整形外科で見てもらった。
40年前の、椎間板の再発で、手術。ベッドの都合で1ヶ月後だと言う。然も入院45日
会社はゆっくり休めるからいいが、ここ1年くらい、右下っ腹が、時々シクシク痛む、手でギュッと掴むと治まる、を繰り返していた。
この痛みはヘルニアの一種で、下腹の筋肉が緩んでくると、その隙間から内臓が飛び出して、筋肉に挟まれて、イタタタとなる。手で掴むと中に押し込まれて、痛みが消えることがある。

一ヶ月も後で手術になるなら、今のうちにヘルニアの手術をしておこうと、松本先生に紹介してもらって、ヘルニアを先にやっつけた。
入院が、一週間かかるという。
5歳も上の義理の兄貴は、去年ヘルニアの手術は、確か3日で退院したと言ってた。
無理しないでとは医者が言ってたが、そんなに停めらんではたまったもんじやないと、2泊3日に、強引にしてもらった。
縫った後が良くくっつかない内に、退院したもんだから、壁の雨漏りの補修を、下手な人にやらせると、パテが盛り上がって、見苦しく仕上がるが、肉が縫い目に沿って盛り上がり、何かの時に掻くと、引っかかって、血がでてしまう。
義理の兄貴に「ヘルニアの手術は、何日で退院したの?」「7日だったか8日だったか」「えっ3日じゃないの」「3日じゃぁむりじやないか」「そんなぁ」
医者の言うことは聞いとくもんだ。

ヘルニアの手術が終わり、退院して3日経った。
激痛が全くない。嘘のようだおかしい、再発の心配をしつつ、10日経った時点で、医者に、手術の中止を通告した。
医者の言う通りにしていたら、背中を開かれて45日入院、然も、激痛は治らない。
あの痛みは、ヘルニアから来ていたんだ。
言うことを聞かなくて良かったよ!!

一勝一敗 まっイイとするか!