わけの分からない経営の本を読むと、響きの良い民主的経営者になろうとして、「会社は社員のもの」などと、言い出す。
「きれいごと」にすぎない。俺も「会社は社員のもの」と思い切ってそう言いたい。
似て非なるもの
「会社は俺のもの」
テックセールスマン時代に、トップ表彰を受けて、演壇で活動報告のチャンスをもらった。
「私はこの一年間トップを狙って仕事をして来たのではありません。
自分の部下が結婚することになった時に、相手の親がお前の相手は、何と言う会社に務めているんだい。と言われて「テックよ」と答えたらその親が安心して「そうかそれは良かった」と言われる会社にしたいと思って仕事をして来た。」
その為に一位にならなければいけないし、一位であって尚且つテックを代表するセールスマンでなければいけない。
そんなつもりで仕事に取り組んでいる。
残業が続いて早く帰れないとか、製品の性能が他社に劣っていて、競争に負けて営業成績が今ひとつなどという同僚がいるが、気持ちが雇われていて「会社にぶら下がっている」からだ。
テックは「俺の会社だ」会社に要求することや文句は一つもない。
理想の会社を作ろうとやっていても、まだ途上の為にうまくいかない事は幾らでもある。
経営者のせいでも、上司が悪いわけでもない。
発展途上の対処すべき課題があるだけだ。
会社に要求してはいけない。
どんな働きをすべきか考えなくてはいけない。」とトップセールスマンの活動報告をした。
先輩社員で若いものを集めては手柄話と会社の悪口を言う人がいた。
俺がまだ3年目、中堅の入り口か新人卒業かと言う頃だった。
飲み屋で先輩社員と喧嘩した。
「会社を大事にする気もないやつは会社をやめたらどうだ。」
「お前にそんな事を言われる筋はない!」
「会社の悪口を言う人は、会社が嫌いなんだろうよ。辞めたらどうだ。」
「偉そうな事を言うんじゃない!所長でもないに」
「俺の会社だ!俺の会社をおとしめる奴は、先輩だろうと役職者だろうと許せぬ!」
論理は無茶苦茶。
自分の会社と思って仕事をしているのと、務めている人では会社に対する姿勢が違う。
自分の会社と思っていると、会社を守ろうとする。良い会社にしようとする。入社3年になったばかりで会社を守ろうとする。
抜擢されて28才で本社の課長になった。
そこには、保身の塊。親会社の東芝から来た役員の中には、「東芝」っていうのが嬉しくて、何かにつけて「東芝」という。
55くらいの役員に28が辞めてしまえ!と言うんだから、しっちゃかめっちゃか。
そこでも「会社を守ろうとする」姿勢でやりあった。
ある役員は社長が出張の日には決まって遅く(遅刻)出社した。
末席の若輩の課長の俺は、本社勤務になったが、役員席からは遠く離れていた。
9時30分すぎに出社して来た川名常務に、遠くの席から大声で「常務!今日は遅い出社でっあっそうか!社長が出張でいらっしゃらない、よーくわかってますね~!」
こんな野郎には恥をかかせるに限る。社長の太鼓持ちめ!
俺の会社をお前たちの様な太鼓持ちに役員やらせておけるかい。こんなつもり。
俺の村という時だって、村に対して誇りを持ってその村の出を訴えたい時に「俺の村」という。
「俺の家族」という時は、リーダーとして、俺が守るからな!という気概
「俺の部下」と言ったなら、部下を守り育てる気概のある奴だ。
「会社は社員のもの」
何という大衆迎合主義。「店」は、客に喜んでもらえる様に、いろんな事をして
何をすれば喜んでくれるのか、毎日工夫してCSを見つける努力を続けている。
「会社は社員のもの」と言った途端、店に来てもらっている客と同列の扱いになってしまう。
人手不足で、働き易い職場を作りそれを売りにして、採用を有利にした。
いつしか、働き易い職場を作らないと人が集まらなくなってきた。
その結果「会社は社員のもの」などという発想になってきた。
「会社は社員のもの」多いに結構。
テンポスでは、社員を規定している。
前向き、人のせいにしない、いじけてない 能力は問わないこの条件にあった人達を社員と呼び、
「会社はその人達のもの」つまり「会社は社員のもの」という事になる。
「会社は俺のもの」という気概のある人の集団にして始めて「会社は社員のもの」と言える。
学校の先生がやたら威張って、張り倒すのは当たり前。傍若無人。
戦前は、家長が子供を売り飛ばしたり、家の立場で無理やり嫁にいかせたり、
「人権」という意識がなかった。
戦後「人権」の捉え方を間違ったのは、戦前の封建制の反動で、教師は「友達」になっちまった。
権威を捨てて友達になった。そこに問題は集約される。
指導する立場の人が権威なくして、育つわけがない。その権威ある人であっても、指導者でない時は、例えば生徒が先生の家に遊びにきた時、妻に命令されていたり、台所の手伝いをしているところを平気で見せれるようでないと、つまり、権威を持っていれば、私生活においては、全く対等で、休日先生の家に行った時の生徒に対する扱いが、一人の人間として、接してくれた。
「生徒と友達」になるには、自分を鍛え上げて、ありのままをみせれるようにする。権威が身についた教師のみが、「友達」と言って良い。
社員も育つ間は、先輩は「指導者」それを忘れてはいけない。
ここの所をよく理解しない教師を大量に作った為に、