学生時代、三保の松原で、防波堤を作る、バイトをした。
ダンプから石を抱えて、50メートル運んでは、ダンプに戻り、を繰り返していた。
人数が20人近くいて、ばれっこないので、ダンプに戻るふりをして、隙を見て、列から離れ、サボっていた。
ラクチン、ラクチン。
安形鉄工所でバイトをした時は、製造中のデカイ機械の中にもぐりこんで、寝転んで、金鎚で時々、
パイプを叩いて、いかにも仕事をしている風を装って、ラクチン、ラクチン。
昼休み、学生といかに上手にサボるか談義に花を咲かせていると、同級生とはいえ、二浪の奥原が俺を見て、
「サボると、嬉しいか」一言、ぼそり、むこうへいっちまった。
俺はサボりマンではあったが、多感な青年だったので、奥原に対して、恥ずかしくて、
かといって、馬鹿に一生懸命やるわけにも行かず、其の後どう過ごしたか覚えていない。
自分は比較的目端が利いて、競争すると、大概上位に入った。 勢い、手抜きが、自然と身についてしまった。
サボって、手抜きをして、得意がっていたことを、奥原の一言、「サボると、うれしいか」
それが、ずーッと自分の生き方を、決めてきたような、気がする。
年降りて、40年、ドラッカーが、大事にしている言葉に、「顧客の創造」「成果」
人事評価の絶対的ポイント「真摯。」
「真摯」 蒲田では、「ひたむき」と言う。どうだ、ぐんと、分かりやすくなったろう。
「ひたむき」 手抜きの俺は、40年、「ひたむき」に、生きたいと思ってきた。未だ「ひたむき」になれず。
「ひたむき」は、ずーッと続ける。打算が働かない。他人の目を、気にしない。 利巧そうなことを、言わない。
決断力、挑戦、リーダーシップ、どれも社員の評価としては、はずせない大切な項目である。
ドラッカーは、評価の絶対的項目として、「真摯」 つまり「ひたむき」をあげている。
【真摯】は能力ではない、明日からやる、と言うものでもない。
どんな優れた能力を、持っていても、【真摯】でないものは、評価してはいけない。
つまり、社員にしては、いけない。
ドラッカーは、絶対と言う言葉は、ほとんど使は無い、この「真摯」を、除いては。
【お父さん、ごめんなさい】 中二 女子
母が死んで、父は毎日、小4 小2 小1 の三人の弁当を作り、朝ごはんの支度をして、
土方に出かけていった。私は、父兄参観の日がいやで、いつも父に、学校に来ないよう言った。
小奇麗にしたお母さんたちの間に入って、どこで着替えて来たか、しわくちゃだが、泥のついてない作業着を
着て、父は、私が、「こないで」と言っても毎回いた。あれから4年、私も、中二になりました。
「おとうさん、ごめんなさい、自分のこと、しか考えてなくて。」
ご飯のしたくも、洗濯もやれるよ、お父さん、長生きしてね。
ひたむきってのは、黙ってなくちゃーだめなんだよなぁ、難しいノウ。