繁高玲子 の 思い出

新城高校に通うのに、飯田線が単線で列車待ちの為、往復四時間かかっていた。 

電車は揺れて気持ちがいいので 寝てばかりいた。

そこのところは棚に上げて、 地元の生徒に比べると、勉強する時間がないので、

「下宿させてくれ下宿させてくれ」と、いかにも向学心のある学生っぽく、

親に訴え続けていた。

高二の夏から下宿させてもらって、何とか 大学に入った。

そこで水窪の同級生の 繁高玲子に遭った。彼女は三年間 毎日四時間かよい通した。

私は自分にがっかりした。あんなに大変だった4時間の通学をなんのことなく遣り通した女が

目の前にいる。

涼しげな眼差しで 「あっちゃやん 元気?」といったかどうか忘れたが、

情けない男森下篤史を 背負っていかなくてはならなくなった。


サラリーマンになり、売れない日が続き、会社を辞めようと思うと、

繁高玲子が俺の右肩に乗っかって、「あっちゃん大変でしょう」とささやく。

「途中で下宿したんだもんね」 「うるへー」 


クレームが処理しきれなくなり、くじけてくると「あっちゃん下宿したんだもんね」
「うるへー」
情けない男篤史になるたびに 「あっちゃん」「うるへー」

 

何とか玲子に 笑われないようにやってきたが、独立して会社を始めると、

いつしか繁高玲子がでなくなった。資金繰りや大勢の社員による裏切り、

元々技術もないのに調子の良いことを言って、受注したものの 案の定機械が出来上がらなくて、

着手金の500万はすでに 使ってしまった。

 

「玲子ーどうすんだようー」 「あっちゃん下宿したんだもんねー」

「500万かしてくれぃ」 以後出なくなってしまった。

惜しい人を亡くした{生きてる}。

玲子の代わりを見つけなくてはならぬ。 あぁーもう 終わり続きは明日。