【東池袋大勝軒】子宝に恵まれたラーメンの神様

つけ麺

百人以上の子や孫が守る味

4月1日はラーメンの神様であり、つけめんの創始者である山岸一雄氏の命日。

山岸さんは1961年の創業以来、奥様と二人で店を守っており、弟子やスタッフを雇わなかった。しかし、1986年奥様が他界し店を開ける気力もなく、ずっと閉めていたが、お客様からの励ましや応援の書き込みがたくさんあったという。

そこでお弟子さんを雇って店を再開することになった。それが1987年。その時に採用したのは二人。その後、二人は独立を果たし、「豪快」(1990年大和市で創業、2001年藤沢市に移転)と「サニー」(1990年西東京市で創業)を開いている。

さにー

当時は「大勝軒」の名前を受け継ぐ(暖簾分け)のはおこがましい、ということもあったのだろう。別の屋号での独立だ。ちなみに最初に「大勝軒」の名前を分けてもらったのは「滝野川大勝軒」。現「東池袋大勝軒」の店主・飯野さんの独立店舗で1995年創業だ。

山岸さんは子供に恵まれなかったが、その愛情をお弟子さん達に注いだ。おかげで全国で百人以上の子供や孫が味や暖簾を受け継いで守ってくれている。そういう意味では子宝に恵まれたとも言える。ここ数年、4月1日は暖簾分けの「大勝軒」を回っていたが、今回は最初のお弟子さんの店をハシゴしてみようと思う。

店名:東池袋大勝軒

住所:東京都豊島区南池袋2-42-8

記事執筆

大崎裕史(おおさきひろし)氏

(株)ラーメンデータバンク取締役会長。日本ラーメン協会発起人の一人。東京ラーメンショー実行委員長。1959年、ラーメンの地、会津生まれ。広告代理店勤務時代の1995年にラーメン情報サイト「東京のラーメン屋さん」を開設。2005年に株式会社ラーメンデータバンクを設立。2011年に取締役会長に就任。「自称日本一ラーメンを食べた男」(2021年5月末現在約13,500 軒、約27,000杯実食)として雑誌やテレビに多数出演。著書に「無敵のラーメン論」(講談社新書)「日本ラーメン秘史」(日本経済新聞出版社)などがある。