子育てと命の重さ

子育て 命の重さ 使命とは
2019-03-22 11:13:07NEW !
テーマ:人を育てる
第17条 使命
9月11日、ニューヨーク世界貿易センタービル。テロによるジェット機の突入により
上層階が火を吹いて、ジェット機が突入した階から上は、窓から炎があがっている。
エレベーターも止まって逃げまどう従業員が転げ落ちるようにして階段を降りてくる。
逃げまどう従業員とは反対方向に消防署員は進んでいく。部屋に残っている人はいないか、
「危険だから避難してください!」と叫びながら階段を登っていく。この行動で何千もの人が命を救われた。
一方で343名の消防署員は命を失った。この消防署員達を駆り立てたものは何だ?
名誉や待遇のような損得ではなく、
責任感でもない。消防署員は命を捨てて人を助けなさいなどとはなってない。
自分の仕事に課せられた使命感のある人のとった行動である。
安全な場所を選んで、救出をしていた消防署員の方がむしろ多い。
我々は一生の間で使命を感じる場に遭遇することはほとんどないし、使命という言葉すら使うこともない。

甘やかされて育った5才の子供が食事の時いつもご飯の前にケーキとジュースを飲みたがって泣く。
栄養のことを考えて子供に「ご飯を食べてからよ」と言ってはみるものの、あまりに大声で悲しそうに泣きつづけるとかわいそうな気がして「ケーキ食べたら必ずご飯も食べるのよ。」と言って、結局ケーキを与えてしまう。
親は、自分をごまかしてはいけない。子供が悲しそうに泣くからかわいそうな気がしたのではない。
これ以上我慢させるのが嫌だからケーキを与えたのだ。その親は泣くのを見るのが嫌で、自分の気持ちを優先させたのだ。
子供の事なんか一つも考えていない冷たい親だ。
「今度だけよ」などと言うのはもってのほかだ。
人間を作ろうとしないで、動物のままにしておくのは、野田の児童相談所手の出来事で逮捕された「虐待して殺してしまった親」ほど酷くはないが、子供を人間に育てる使命があると思ってないで、良いいはいいはで、育てて、動物のままにしておくのは、虐待して殺した親と似たようなもんだ。
生まれた子供を精神と健康な身体を持った子供に育て上げることは、責任ではない。使命である。
子供はすくすくとそだったとはいえ、食べたい時に食べ、嫌な事をさせると泣き叫ぶ。
そのままだと動物である。
ルールを教え、人の役に立つようにして初めて、「人間」になる。
生まれた子供を、人間に育てる事が「親の使命である」
ケーキを先に食べたいと泣き叫んでいる子供をぶっ叩くのではなく、羽交い締めにするくらいの力で、抱きしめて耳元で囁く「わがままいうんじゃないよ」と
泣き叫ぶたびに、強く抱きしめる。
こうやって続けて、人間になる。