Smiler 34
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有限会社オフィスりょう次 沖縄県那覇市金城5-4-6通堂本店3F ☎098-852-0120 ryoji-family.co.jp りょう次さんは沖縄外食業界の兄貴分 有限会社オフィスりょう次代表取締役 金城良次支店長に問われ、「担保は俺のやる気です!」、「お前はアホか!」と笑われたという思い出話を語る金城さん。結局、知り合いで泡盛メーカーの社長が保証人となり、借入れもでき、開業に至ったという。その泡盛メーカーの社長との繋がりは、以前のバイト先で、その泡盛を売りまくったことにある。誠意ある接客と、こうした人との繋がりが今の金城さんを培ってきたのだろう。 さらに以前よりやりたかったというラーメン店を開業。きっかけとなったのは2001年の横浜ラーメン博物館への出店、50店に登る応募の中から見事選ばれた。これを機に、当時ラーメン店の少なかった沖縄で、新しい沖縄のラーメンを根付かせようと『琉球新麺 通堂』ブランドが生まれ、小禄本店をはじめ5店舗を展開するまでに至った。今後は、この『琉球新麺 通堂』を、台湾、中国をはじめ東南アジア進出へと目を向ける金城さん。根っからの居酒屋の親父であり、ラーメン好きであり、それはこれからも変わらず、自他ともに認めているのは言うまでもない。りょう次さんの愛称で呼ばれ、代表である金城良次さんは、18歳の時に単身で神戸に渡り、居酒屋を任され6年間修行。27歳の時に帰郷し、1988年那覇市久茂地に独立1号店となる『居酒屋野郎りょう次』を開店、その後、着実に店舗を増やし現在、翁を中心に国内11店舗、カナダに1店舗の直営店を持つ。 神戸に行った頃は、色々とやりたいことがあり、とりあえず、居酒屋のバイトを始めた。しかし、出版社に勤める友達が、給料も高くて面白そうな仕事をしていると知ると、バイト先のオーナーに「自分も出版の仕事をしてみたい!」と申し出たが、「いや、お前には居酒屋しかない!」と、なだめられたという。そんな金城さんだったが、バイトを続けるうちに、飲食店にのめりこんでいった。お客さんに喜ばれることに生きがいを感じるようになり、23歳の時には、これからは生涯、自分には飲食店しかないと思うようにまでなった。27歳で独立する4年前だ。 独立の際には、自己資金もなく銀行の支店長にお金を貸してくれと頼んだところ、担保はあるかと102017№34

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