死んでいった友が、言い残した事

60歳で亡くなった友の遺影が、俺に向かってニコニコしている。

彼がどんな育ちをしたかしらぬ。

彼の家族にあった事もない。

仕事を通じて知り合っただけだ。

彼に向かって、お前がやり残した事の、何分の1かは、俺がやるからな。

勝手に自分で引き継ぐ事を決めた。

会社を辞める、責任とって辞める、途中で諦めてしまう。投げ出してしまう。

そんな人へ

自分の親戚、知人で早くして死んでしまった人は、「篤史!価値ある生き方をしてくれよ、

人のせいにして、怠惰な生き方をしてくれるなよ、自堕落な生活をしてくれるなよ」

俺たちは 仏様に向き合って、安心してくれよと言わなければ、生きてる価値がない。

ましてや

例えば大根やほうれん草のような野菜であれ、例えば牛 豚のような動物あれ、生きものの

生命を奪ってまで生きながらえている自分は、なんで許されるのか。

仏様に向き合って、自分の毎日が胸を張って報告できるような生き方をする必要があります。

今生きているという事は、精一杯生きること。

決して、投げ出したり、いじけたりして、与えられた人生を踏みにじってはいけない。