暁子の思い出

暁子の結婚式

32年前、平和島の安い家賃の16坪で操業した。
男3人に、女房が事務員。
朋子は保育園なので、女房が5時に迎えに行っていた。
壮人(まさと)は3年生。
暁子は一年生で学校が早く終わる。家には誰もいないので、ランドセルを背負ったまま母のいる事務所に来て5時ごろ母と一緒に返って行った。
事務所にいても邪魔になる訳でもなかったが、公私混同している様で、創業期でもあるから余計にけじめをつけなくてはと思い、
5月も半ば過ぎ、「会社だからもう来てはいけない。」と諭したが、翌日また会社に来た。
来てはいけない、帰りなさいと言っても、ベソをかいて帰ろうとしない。
背中を押して事務所から押し出して家に帰らせた。
時々会社に来るだけで段々我慢できるようになってきた。
暁子は家に着くなり母のところに電話をして来た。
小学校1年生で誰もいない家に戻るのは寂しい。
女房は電話で諭して「あっちゃんこれはお仕事の電話だからお母さんも何時も電話に出るわけにはいかない。電話をして来てはダメよ」
電話が来るたびに心を鬼にして説明した。
そのうちに電話も我慢できるようになった。
5時ごろ帰った女房は、ランドセルを背負ったまま電話機の前で寝ている暁子を見つけた。
暁子は泣きつかれて寝てしまっていた。どんなに電話をしたかった事か。
女房はあふれる涙を拭こうともせず、駆け寄って抱きしめた。
「あっちゃんゴメンね、悪いお母さんだよね。電話を掛けたかったのに我慢したんだね。寂しかったね。」
暁子は飛びついてきて「あっちゃん、少しさみしかった」と言った切り、我慢していたものが一気に溢れて、母の肩越しにしゃくり上げた。
その暁子も、今日でお嫁に行く。
暁子が小学校1年の頃、奥日光に家族でスキーに行った。
子供用のソリを俺が持って、暁子をリフトで途中まで連れて行き、そこから滑りおりて来た。
そうやって繰り返して暁子は一人で遊んでいたが、
たまには俺も一人で上まで行って滑って来た。
下手っぴぃなので、降りてくるまでに20分の余かかる。
下までヤットコおりて来たら、暁子は俺が来るまでソリを抱えてずっと立っていた。
駆け寄って「あっちゃん、お父さんが来るまで待っていたのか?」「うん」
遊びとはいえ、寒い中俺が来るまでジッと雪の中待っていたかと思ったら、思わず愛おしくなって抱きしめてやった暁子も37。

大和証券の上司から祝辞を頂いた。
「暁子さんは頭の回転が早く、仕事のスピードは抜群です。
但し身体は女ですが、頭は95%男です。筋を通そうとすると、役員にも負けていません。」

頼もしいような行き過ぎの様な仕事っぷり。

「暁子よ!旦那との生活で筋を通す必要はないからな。どちらの意見が正しいなんて言い争うなよ。そんなことはどっちだっていいんだから。れ
旦那の悪いところを指摘するなよ、見つけるなよ、治してもらおうと思うなよ。
一緒に生活出来ることに感謝をして、嬉しいな、楽しいな、良かったなって思い続けろよ。」
ああそれから、戻って来るなよ!覚悟をしておけよ。
お前の家は山田くんと築くんだからな。