JR福知山線脱線事故、無罪判決から導き出すべき結論!

福知山線脱線事故、JR歴代3社長に無罪判決/安全問題研究会

2005年、乗客・運転士あわせて107名が死亡したJR福知山線脱線事故について、神戸地検が不起訴とした後、神戸第1検察審査会による2度の「起訴相当」判決を受けて強制起訴されていたJR西日本の井手正敬、南谷昌二郎、垣内剛の3被告(いずれもJR西日本の元社長)に対する裁判で、9月27日神戸地裁(第101号法廷、宮崎英一裁判長)は「事故を予見できなかった」として、3人全員を無罪とする判決を言い渡した(当研究会速報のとおり)。遺族は「全く納得できない」「故人に報告できない」と判決を強く批判しており、控訴する見込み。

閉廷後、直ちに神戸地裁正門前で遺族らの会見が行われた。以下、遺族の声をお伝えする。
●藤崎光子さん

これほどの不当判決はない。JRの主張を鵜呑みにしているだけ。これではJR西日本は何も変わらない。事故当時、常に列車が遅れる状態で、当日も遅れていたにもかかわらず判決はそれには何も触れなかった。判決は容認できず、直ちに控訴する方向で指定弁護士と協議する。

私が井手元社長を(テレビでなく)生で見たのは、事故から8年も経っているのに今日が初めて。「衷心からお詫びしたい」とのペーパーで謝罪こそしているが、裁判所の心証をよくするためだけの謝罪にしか見えず、遺族は誰も信じていない。井手被告は国鉄分割民営化最大の功労者と言われているが、もう少し遺族の気持ちを考えてもらいたかった。井手被告は、法廷でもニヤニヤ笑い、上を向いていた。ナイフでも手元にあったら投げつけてやりたい気持ちだ。控訴して、長く(闘いを)続けることが大切だと思っている。そうすることによって、世論が高まり、組織罰を裁く新法がなければダメだという気運が盛り上がってくる可能性がある。

奥村恒雄さん
(企業犯罪に対して)組織罰を問うことができる法律がないまま個人の責任だけを問うとこうなる。組織罰(を裁ける新たな法律)を制定してもらいたい
井手被告は、法廷でもニヤニヤ笑い、上を向いていた。ナイフでも手元にあったら投げつけてやりたい気持ちだ。控訴して、長く(闘いを)続けることが大切だと思っている。そうすることによって、世論が高まり、組織罰を裁く新法がなければダメだという気運が盛り上がってくる可能性がある。

法の専門家は法に順って判決を下す。
無罪判決は当然の事である。が、
「皮膚感覚」からいうと、これだけの事故を起こして責任を取る人がいない。この事実に釈然としないものがある。
法治国家だからといって、お上の言う事を鵜呑みにして「そうですか、分かりました」と良き理解者をやってるわけにはいかない。
かって、議員秘書の、費用を誤魔化して請求し糾弾を受けた結果、返納した議員が多数いた。
良く法律を知らない我々からすれば、お上は、横領しても返せば良い。それが議員だけに許される法律なんだと教えてくれた。
法律はそうなっていても「皮膚感覚」ではそれはおかしい、となる。

理性的、客観視出来る人ほど「法令遵守」で自分の感覚を殺しているから今回のような判決をみても、「それはおかしい」とはならない。
一方で「それはおかしい」と決めつけてしまうとそれもおかしいことになる。
頭ごなしに、福知山線脱線事故の社長にたいして、ヘイト感覚でものを言ってしまう。
相手の主張を(ここで言う相手とは、裁判の結果)受け入れる余地がないからだ。

主観主義の俺にとって「それはおかしい」感覚をものすごく大事にしている。
従業員の報告で「みんなが言ってます」と言われた時も「皮膚感覚」でみんながそんな事言うわけないだろう。で、誰と誰がそう言ってたんだいと聞けば、せいぜい2~3人。

グルコサミン、コンドロイチン、皇潤 セサミン
健康食品の宣伝を見ていると、やたらに体に良いような事を言ってるが「皮膚感覚」は、そんな事あるわけ無いだろう、健康食品を全てのんでいたら、スーパーマンになっちまうよ。と教えてくれる。

桜宮高校 元バスケ顧問、小村被告に執行猶予3年の判決

マスコミは必ずしも正しい報道をするわけではない。
新聞は売れなくては話にならぬ、売れるように書く。
世間では、小村監督を極悪非道にしたがる。マスコミは小村にも良いところはいっぱいある。と報道すれば、おばかな庶民は小村は悪い奴だ。お前の新聞読まない、気分悪い。部数が減る。
小村は生まれた時から悪い奴だ。おやもわるかった。友達関係も良くなかった。と書けば「そうだそうだ」と安心する。部数は減らない。
国民が半澤直樹になって、小村をやっつける。新聞は売れそうな書き方をする。
小村監督は反論の手段もなく、マスコミの恣意的報道に悔しい思いをしながら、耐えるしかない。
ここで「皮膚感覚」が働く。
小村は、マスコミの言うほど極悪人の訳がない。
普通の人が、行きすぎる事があり、我々もそうなる可能性がある。
小村は普通の人であり、行きすぎた行動をとったにすぎない。
この判断は大事なことで、ちょっと待てよ。がないと、国中が、小村悪者にした時に、マスコミが誘導するか、国民の望む方向に報道しているのかは別にして、一つの方向になり切ってしまう事こそが、戦争を導くことになってしまう。
「戦争反対」
当たり前のことを訴える、害にしかならない子供程度の平和主義者。
第二次世界大戦で、単純にアメリカをやっつけろ、中国なんぞ一捻り、と叫んでいた輩と、今の平和主義者は、同列にある。
尖閣諸島を蹂躙されている今、上陸訓練をしたり、離党防衛用の軍備を増強すると、軍事大国化だなどと叫ぶ。
話し合いで解決つかないことはないと、子供みたいなことを言う。
「皮膚感覚」が働かない。盲信、異論を聞く耳持たない。

人の話を聞いても、マスコミのニュースを聞いても、「一辺倒」になりそうなときに
「皮膚感覚」を働かせる時である。