村の長老に締め上げられた。

40日振りに実家に帰って、草刈りだ。
天竜川の支流、南アルプスの南端の、峡谷の隙間が、我が故郷。
4時15分に出て8時30分についた。
庭先から、100メートルの眼下に、村が広がっている。
93の親父と87のお袋を、1年を経ずして亡くしてしまった。
既に二年になる。
親父は村でも評判の丁寧人で、草刈り場から、背負って来た草を茶畑の畝の間に敷くのにも、折り紙をおるように、キチンと並べた。
この十年は夏場は毎月二回、百姓に帰っていたが、親父の2~3週間分を二日でやるのには、
スピード第一、丁寧第三、第二は大雑把。
実のついた草は、袋に入れておかないと、いくら引っこ抜いても、来年は草だらけになると注意をされたが、何しろ二日でやるのには、スピード第一!
終いには親父に「篤史はやらんでも良い!」と怒鳴られてしまった。
そんな親父だから、村役で、村ぢゅう総出の道路補修「道作り」と言った。に出る時などは、丁寧にやるように村人に指導をしていた。
ここんとこ5年位は、「道作り」には出ていなかったようだし、村ぢゅう総出とはいえ、わざわざ東京から息子の俺に来いとも言えず、代わりも出していなかった。

家について間もなく、村に住んでいる妹が、息せき切ってやって来た。高台の家だから車がしたから見えるので、帰って来たのは直ぐわかる。
隣組のお爺が死んで葬式を済ませたが、森下では、二年前に金ちゃと、百合ちゃの、葬式では隣組の世話になっておきながら、鈴木の葬式には知らんふりかよ。
親戚でもある長老の「ゆう兄」からお叱りを頂いたと、の事。
連絡くれなければ、葬式に行き様もないは通らない理屈。
「篤史が忙しいのは分かる。だからって、けじめをつけろ。村役御免の挨拶に、海苔かクッキーを持って、一軒づつ回った方が良い」と教えてもらった。

暗くなってから、一軒づつ回ったが、ゆう兄のとこは最後にした。
何処の家でも、断りを入れると「淋しくなるが、しょんないわいね」と、5分位ですんだが、
ゆう兄のとこへ行ったら、気まずい顔をして「マア上がれ!」ときた。
二年前のお袋の葬式の時、初七日の村衆へのねぎらいの挨拶の仕方が、心がこもっていなかった。
しかも、坊さんがいない時に挨拶を始めた。
「道作り」には、ここんとこ10年も出ていない。
一つ一つ、ややくどい話っぷりではあったが、村衆の側から見れば、俺の村付き合いは、随分勝手なもんだった。
その他村役ってそんなにあるんだ。ってビックリ。
俺は「送り盆」、年一回に出ていてそれで良しにしていた。
それでもって村の仲間だと思っていた。

翌日草刈りに来ていた姉貴夫婦に、夕べの、顛末を話しているところに、
あさくまの、西田マネージャーから電話がかかってきた。
「すいませんでした。婚活の報告をしなくて。」
「馬鹿野郎!32名募集がなかなか集まらない。お前は大阪の出店でこっちにはいない。忙しいのはわかる。だから余計に心配して、吉川に頼んだり、木曜の情報交換会で説明したり、監査役のとこの社員に参加してもらったり、間際になっても18人しかいないと聞いていたから、焦っていた。
風の便りに34人の集まって、ビストロが狭いくらいだったと聞いて、一人胸をなでおろしていたとこだ。
テメイこの野郎、世話になるだけなって置いて、報告一つなく、人を舐めてんじゃねいぞ!」
「そう思われてしまったんじゃすみません、決してそんなつもり・・・・・」
「何だその謝り方は、そう思われてしまっただと。思ってしまった俺の理解の仕方が悪いっていう
のかよ。
おメイが感じる何倍も周りの人は心配してやってくれているんだ、それを報告もしないで、この野
郎!」

電話を聞いていた姉貴が、クスクス笑っている。
笑っている人のそばでテンション揚げて怒り続けるわけにもいかず、西田を放免した。
姉貴が「篤史のやってる事は、ゆう兄に言われたことと、おんなじだね~」
「わっ本当だっ!」