論語の講義を受けた

子曰く、君子は義に喩り(さとり)、小人は利に喩る。

孔子先生はこう云われた、
「君子は正義(義)の実践を追及し、小人は利益を追求する。」 と。

君子は正しい道の実践や「義」という行為の実践の重要さを認識し実践しているが、
小人はただ目先の利益(欲望)を追いかけ続け本質を見ること出来ないと。

現代に於いて「利」は(お金であり、物である)
「利」は一時的なものであり、やがて消え行くものです。
一方「義」は正しい行いを守るという事で、これは普遍的なものになり得るものです。
「君子」として認められる人は「義に喩っている人」
「小人」は「利を喩る人」とあります。
真に「君子」として行動する人、即ち普遍的に評価され続ける人は、
正しい行いを守り続ける事が出来る人である。
残念ながら、「利を喩る人」、即ち「小人」は欲望を追い続けるに終わる人であるという事です。

我々経営者は、「利をさとる」「小人」である。
知らなかったぁ、「小人」だったとは。
「小人閑居して不善をなす」俺たちは、小人だから、時間を持て余すとろくな事をしない。
だからかぁ。大人(たいじん)を 目指しているつもりが、何時の間にか卑しいことをしてしまっているのは。

この一ヶ月半で同じところで四回も携帯で捕まっちまった。
イヤホーンと言うのか、耳につっこんで、聞くやつはあるんだが、よく聞こえないので、音量は最高レベルにしたものの、まだ良く聞こえない。
ダッシュボードにおいたままにして、携帯を使っていたら、6000円づつ三回18000円払った。
四回目捕まった時は半分やけになりながら、「1ヶ月で三回も捕まったんだから勘弁してくれよ」と頼んだが、無視されて、免許証を出せといっていた。勘弁してくれと言い張ってみたが、わかりの悪いポリの隙をみて、
「もう~っ」と言い残して逃げてしまった。
「アーッ」と声が聞こえたが、「バーロッ」とひた走りして、小道に入り遠まわりして、逃げおせた。
自分のアホさ加減に腹が立って腹が立って、おさまりがつかない。ポリが悪い訳がない。職務に忠実な実直なおまわりさん。
其れでも同じようなところで、ふたつき、経たない内に4回も捕まってしまうとは。
畜生目、そうだ仇をとってやろう。
バナナを車に積んだ、3日目4日目、獲物はいない。5日目になり、いつものところで、白い自転車を隠すともなく隠して、電柱の影にいる「袴田」を見つけた。こいつには、二度も切符を切られたから、名前を覚えちまった。にっくき袴田!今日こそは天誅を加えてやる~。
向こうから見えないようにバナナを持って、如何にも携帯を使っているような仕草をした。
口も動かさないといけないと思い「バナナですよこの野郎」と独り言を言った。
信号で止まったら、袴田が走って来て窓をコンコンやってやがる。
左側の窓を開けずに勿体ぶってやった。回り込んで運転席に来た。
コンコン「何で停められたか分かりますよね」よく聞いたお言葉だ。
「わかんない。」と言った。「わかりません」では面白くない。
「走行中に、携帯を使ってましたよね」勝ち誇ったように言いやがる。
「よくわかんない」
「走行中に、携帯使用は違反です」
「そりゃあそうだ」
「免許証を見せてください」
「袴田くん!」名前を呼ばれてビクッとなった。
「袴田くん!私が持っているものは、携帯ですか、バナナですか、袴田くん!」
「あっ」
「アッじゃないでしょう、何の権限で庶民の車を無闇に停めてんだ、袴田くん!バナナ持ってると何か問題ですか、」
「アッすみません」
にさん嫌味を言ってから、車を動かした。
すっーきりしたが、こんな事で溜飲を下げて、一方で、従業員に道を説く。
俺の頭も狂っているな~と思ったが、論語の講義を受けて、よーく分かった。
「小人閑居して不善をなす」俺は小人だものよ。