母を背負いて吉野に奉ず

頼山陽母を背負いて吉野に奉ず
頼山陽が50歳を超えたとき、母に吉野の山桜を見せたいと思い、足の悪い母、背負っていくしかない。
自分の住処からだと、朝早く出ても、今日中には着かないだろう。
自分も、体力的に、ひと一人背負って吉野の山まで行くのは無理かもしれぬ。
しかし 今年吉野の山桜を見せておかなければ、母のとしから考えると、もう見せる機会はない。
無理かもしれぬが、いける所まで行ってみよう。
男としてはとても立派な体格ではなかったが、兎も角、母を背負って薄暗い中、朝靄にまみれながらも出発した。
昼過ぎ、間もなく春日山。
自分よりずっと若くて、屈強な若者が、酒ドックリを方に担いで、何やら大声で話しながら歩いている。
私は50過ぎて、母を背負っている。
赤い顔して酒を帯びて歩いている若者の一団の傍を、すり抜けて、私は先を急いだ。
若者は直ぐ近くの、春日山の桜を見に行こうとしている。
ユックリ、歩く。時には後ろの集団に話しかけたりして、付近の桜を見ながら歩いている。
私は、まだ道程の半分も来ていない。先を急ごう。

体力もある 年も若いにもかかわらず、母を背負っている私の方が、歩くのが早い。
遠くに行こうとしているからだ。
我々の人生で、能力や体力ではなく、目的地が遠ければ、歩く速さは、速くなる。
目的地が遠いということは、志が大きいということ。
努力をし続ける。トライと、挑戦の連続。
トライ やった事ない事をやる事を、トライと言う。やったことないことをやるんだから、上手くいくかどうかは、分からん。今迄と違う事をやる事だ。
今迄通り、黙々とやり続ける人にとっては、トライは、苦痛。
挑戦 トライを続けて、肉体も、精神も、ヘトヘトになった時に、挑戦と言う。
180センチの、高跳びをクリアー出来る人が、190センチにトライしてみると、何回やってもクリアー出来ない。
190センチを飛び越えようと、何回も何回も、こうした方がいいか、ああやってみようか、何日も何日も、疲れ果て、工夫の仕様もなくなる。
この状態になるまで続けることを、挑戦と言う。
トライはやってみること。挑戦は、トライを続けて身体も、精神も、ヘトヘトになること。
トライと挑戦を続けることを、「道」を求めると言う。

個人であれ、会社であれ、ベンチャー企業は、「道」を求め続ける。
「道」を求める人は、ヘトヘトになる。
「道」を求めていない人は、「何故そこ迄やるの」と「道」を求める人に言う。